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「ところであなたは洪洞の外国人宣教師から贈られた新約聖書を読むおつもりですか」と私はぶしつけにたずねてみた。実際、ある年配の外国人宣教師が彼に中国語訳の新約聖書をおくり、朱将軍はお返しに『ファシズムとは何か』を一部贈呈していた。


「私は何でも読む」朱将軍は考え込むようにしていった。「私が宣教師と贈り物をやりとりしたなんて、誰も想像しないだろうな。私が聞いた話では、彼の聖書学校は紅軍をクリスチャンに改宗させるため、信者を派遣しているらしい」


「そうです」と私が答えた。「彼らは私さえ改宗させようとしたんです。私は絶対に改宗しないというとおこりました」


「誰が、誰を改宗させるか、みていようじゃないか」朱将軍はきっぱりといった。


誰が、誰を改宗させたか、というのは正しかった。ウォルター・ジャッド博士――のちに有力なアメリカ国会議員になったが、当時は山西省汾陽の医療宣教師だった――は、1938年1月14日、漢口の医療宣教師の友人あてに手紙を書き、その人がその手紙を私に転送してくれた。

ジャッドはこう書いていた。


「多くの人々は、閻錫山は日本と裏で取引している、と考えている。事実、閻錫山軍の副司令は、6日前に私が彼の性病の治療をしていたとき、ここではもう戦闘はないだろうといっていた。中国の力は非常に小さく、打ちのめされているから、『政治的解決』しかないだろうというのだ。確かに山西軍の幹部たちはそう考えている。……将校たちは政治的平和を信じている。だが兵隊たちはそうではない。……そして八路軍は日本と裏で取引するような連中でないことははっきりしている。彼らは郷村、とくに山間の郷村を組織し、衣料その他の供給さえ準備している、――敵が疲れきるまで、何年でも自給自足でやっていこうというのだ。われわれのミッション・スクールでは、学生の半数が八路軍に加わったし、何人かの伝道師や教師も、それに参加した。彼らは30元から70元の月給の仕事をすてて、10元の仕事に移っており、しかも献身的で、信念に満ちあふれてはたらいている。私たちの教会の仕事が、なぜあんな風に中国人の心情をつかむことができないのか、不思議でならない。あのような信念と献身こそ宣教師の使命ではないか、と私は思う。だが、私が受けたような感銘を、私の同僚たちのあいだで共有することはできなかった。私たちの失敗の大きな原因は、私たちが教会の信者たちに十分な犠牲を求めなかった点にあるのではないか、と思う。彼らはあまりにも生ぬるい安易な地位にいる――私たちは、八路軍でなされているように、彼らのすべてを打ちこむことを求めなかったのだ……



by far-east2040 | 2019-05-31 09:00 | 第10巻「歴史との出あい」改編

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どろどろの雪どけの中を行軍し、民衆大会や共産党分会などで演説したりしながら、朱将軍はついに部隊を山西省南部の洪洞地方に誘導し、ここで一部は休息と学習につとめ、一部は日本が占拠した太原府の西方地区に進出した。まもなく朱将軍の司令部のまわりの麦畑は、背の高い頑丈な農民義勇隊の訓練で、朝から晩までにぎやかになった。



ある晩、朱徳将軍の司令部にすわりこんでアメリカのコーヒーをすすりながら、よもやま話にふけったことがあった。私が臨潼の衛立煌将軍のところまでの小旅行から帰ってきたところだったが、ニュージーランドのジャーナリストのジェイムス・バートラムとアメリカ海兵隊の情報将校エヴァンス・F・カールソンが司令部に到着していることがわかった。コーヒーを持ってきたのはカールソンだった。カールソンはエナメルコップのコーヒーをすすりながら、私たちの話をきいていた。私は臨潼で国民党の将軍と会談中に空襲にあったときのことを話した。


「私たちが練兵場を走って洞窟に達したとき、敵機は二回目にもどってきました」私がいうと、朱将軍の参謀の一人が慇懃に訊ねた。


「誰が一番に洞窟につきましたか? そして誰が最後にそこを出ましたか? それは多分衛将軍だったでしょう?」


「とにかく衛将軍の参謀達はあなたがたより大分スタイルがいい」私はいった。「あの人たちは、立派な毛織のカーキ色の制服、鏡のように磨きあげた深い皮の長靴、しゃれた将校用の剣帯、ぴかぴかする階級章をつけています。毛皮の帽子と毛皮の襟をつけた冬用外套も着ています」


「連中はたしかにわれわれより大分スタイルがいい。だがわれわれの方がはるかに重要だ」朱徳は笑いながらいった。「日本軍はわれわれの方にいっそう注目している。彼らは最近も、紅軍に関する情報や、紅軍の出した文書類を提供するものに、褒美をやるという公告を、太原府その他の城壁に貼りまわしたばかりだ。彼らは、われわれをせん滅するために中国に乗り込んだと公言している」



by far-east2040 | 2019-05-30 09:00 | 第10巻「歴史との出あい」改編

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朱将軍は、彭徳懐との連名で発令したばかりの、八路軍全軍に対する命令書の写しもくれた。それは次のとおりだった。


「日本兵士は日本の勤労大衆の子弟である。彼らは日本の軍閥と財閥の欺瞞と強制のもとに、われわれと戦うことを強いられている。したがって、


(1)日本人捕虜に対し、いかなる種類の加害ないし侮辱も厳重にこれを禁止する。かれらの個人的所有物を没収し、あるいは毀損することは許されない。わが軍の指揮官や各級戦闘員で、この命令に背くものは処罰される。


(2)すべての傷病日本人捕虜に対しては、特別の保護と適当な医療処置をあたえなければならない。


(3)本国または原隊に帰ることを望む日本人捕虜に対しては、あらゆる可能な便宜をあたえなければならない。


(4)中国にとどまり、あるいは中国軍のために働くことを望む日本人捕虜には、適当な仕事をあたえ、勉学することを望むものには、適当な学校への入学を斡旋してやる。


(5)家族または友人との連絡を望むものには便宜をあたえる。


(6)戦死した日本兵は埋葬し、適当な石または木の墓標を設けるものとする」


朱将軍はこの命令の(3)について次のように説明した。


「われわれが日本人捕虜を原隊に帰らせると、紅軍は捕虜をなぶり殺すといった種類の将校たちの宣伝のうそが、暴露することになる。われわれはこの命令書を日本人捕虜ふたりに見せた。彼らは、日本の軍事法規では捕虜になったものは、本国に帰ることを許されないし、原隊に帰るものは射殺される、といっていた」


「そうなっているかも知れないが、われわれは、原隊に帰ることを望む日本人捕虜を帰すつもりだ。もし将校が彼らを殺せば、兵隊のあいだの不安をかきたてるだけのことになる。やがては日本の兵隊が、戦わずにわれわれに降伏するとか、あるいは脱走して参加するような時がくるにちがいない」


数日後、私は朱将軍が村で買ったビスケットを日本人大尉にあたえて話しかけているところに出くわした。大尉は礼をいって、考えぶかげにビスケットを食べた。そして話しだした。


「現在の紛争処理のやり方を変更する国際的な運動があってもいいはずだと思う。ここでは中国人と日本人とひとりのアメリカ人がいて、みなじつに仲良くやっている!」


「君はいま、そういう運動とともに行進しているんだ――だからこそ君も生命が続いているわけだ」朱将軍が答えた。「君の軍の中にも、その運動の一員であるひとびとがいるよ。われわれは戦場で、彼らのポケットから反戦パンフレットをとってきている」


「私はそんなパンフレットのことはきいたことがない」大尉はさけんだ。


「君が将校だったからだ。日本の兵隊がわれわれを手伝って日本軍閥をやっつける日が必ずくるだろう」


「日本軍を負かすのはそんな簡単なことではない!」大尉がぷっつりといった。


「だが、必ずそうなる」朱将軍は反駁した。



by far-east2040 | 2019-05-29 09:00 | 第10巻「歴史との出あい」改編

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ある町での出来事であるが、民衆大会でふたりの日本人捕虜に話をさせようとしたら、ものすごい騒動になって、「鬼を殺せ!」という殺気立った叫びがあがった。八路軍の代表者たちは群衆をしずめようと必死になっていた。そこへ「朱徳だ、朱徳だ」という声がきこえた。朱徳は大股で演壇にあがった。議長をしていた町長が進み出て群衆にいった。


「われわれはみな、何年も前から朱徳という名を聞いていた。その彼がいま現にここにいる! いまさら私から紹介することはない」


朱将軍は、はじめに抵抗戦争における人民の役割についてかたった。

そのあとで、日本の兵隊たちは、日本の軍閥や財閥のために徴兵されて中国に送られた労働者や農民だ、ということを知ってもらいたいとのべた。そしてつづけた。日本の人民がこの戦争をはじめたのではない。日本の多数の反ファシストたちが、戦争に反対して、投獄されたり殺されたりしている。八路軍は日本兵をとらえて教育し訓練し、彼ら自身の貪欲な支配階級とたたかい、中国の勝利を助けてもらうつもりだ。


この地方のひとびとにとっては、こんな考えを聞くのはこれがはじめてだった。日本人捕虜のひとり、無線兵が演壇の前にすすみでて話した。


「私は兵隊だが、労働者でもある。日本の軍閥はこの戦争を望んでいるが、日本の人民は望んでいない。私は、強制的に徴兵されて、この国に送られてきたが、捕虜になるまでは、中国の人民がこんなに親切だとは知らなかった。これからは私は中国の人民と肩を組んでゆくつもりでいる」


朱将軍は、のちに私に、日本人大尉の、捕虜になってからの横柄な態度のことを話してくれた。あるとき林彪が、この捕虜のいる家に入ってゆくと、彼はすわったまま、林に鶏や卵や米を持ってくるよう命じた。林は冷ややかに落ち着いた声でこたえた。「われわれが君を親切に扱うのを誤解してはいけない。われわれが君の目下のもの、という意味ではぜったいない。われわれは粟を食べてるが、君には米をやっている。君は君を見に来た農民をなぐったというではないか。このため君を殺そうとは思わないが、今後中国人をなぐったら、公衆の面前で鞭打つぞ」


この話をしながら、朱将軍は唇をかみ、じっと目を見すえた。


「今まであの男は徒歩だった」彼はいった。「今日あいつに私の馬をやって乗らせた。捕獲した日本煙草の一箱もやった。とまどったようだが、うけ取った。あの男もわかってくるだろう」



by far-east2040 | 2019-05-28 09:00 | 第10巻「歴史との出あい」改編

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もっとも、日本兵の死体のポケットからこんなビラが発見される以前から、八路軍政治部は敵に対する宣伝工作をやっていた。しかし「対敵工作部」はここにいたって一段と工作を進め、部隊に日本語を教えるように命令された――この活動は最後には、八路軍と新四軍全体に普及した。日本の兵隊について話すとき、朱将軍は冷ややかな憎悪をこめて、いいだした。


「日本兵は捕虜になるより死をえらぶが、彼らの死にものぐるいの戦闘ぶりは、単純に勇敢さのせいとはいえない。それは罪の意識と恐怖のせいだ。ひじょうに多くのわが人民を殺し、婦女に暴行を加えた。だからわれわれに捕まるのをおそれている。彼らは公然と『虐殺戦』を自慢している。そして彼らが捕えた中国兵をなぶり殺しにしているように、われわれも彼らをなぶり殺すものと考えている。今後は日本兵の捕虜をつかまえることに特別の注意をはらおう」


こんな話のあった翌日、朱将軍はただちに正太線に向かって南下するよう命令を受けた。この戦線を突破した日本軍が太原府に向かって進んでいたからである。


その夜彼の司令部には、夜どおし明かりがつき、夜明けには、われわれは山西省東部のかわききった無人の山脈を越えて南方に行軍していた。賀竜の師団は山西省北部にのこった。また八路軍の卓越した行政家の一人である聶栄臻(じょうえいしん)将軍も、第115師団の二個大隊と共に五台山にとどまって、結局ここを敵の背後の強力な晋察冀(現在の山西省、河北省、遼寧省、内モンゴル自治区にまたがる地域)基地に仕立てあげた。のこりの軍は、朱徳の司令部と共に移動した。そして日本軍第二十師団が、飛行機を先導に東方からなだれこむ寸前、正太線を横断した。


 11月はじめの3日間、八路軍の第115師団は当面の敵に損害を与えたばかりの第129師団といっしょになって、この進撃中の敵師団に対して、双方移動しながらの闘争を開始した。この戦闘ではじめて、二人の無傷の捕虜をとらえたが、ひとりは無電兵、もうひとりは歩兵大尉だった。また食糧、薬品、弾薬、冬用外套、その他各種の軍需品を満載した4百頭以上の駄馬からなる輸送隊を奪取した。この馬の世話に徴用されていた30人の満州出身の農民も、捕虜にした。


しかしそうした作戦も、日本軍の1113日の太原府占領をさまたげることはできなかった。そのあと朱将軍は、日本が権力をかためるのを妨害するため、第129師団を鉄道沿線に残しておいて、自分は総司令部と第115師団をひきいて山西省内を南下した。凍りつくような雨や吹雪に難行しながら、途中の町や村で民衆大会をひらいた。そして省内を中国の抵抗基地に変えるため、いたるところに組織者を残しておいた。



by far-east2040 | 2019-05-27 09:00 | 第10巻「歴史との出あい」改編

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朱と彭は、林彪の師団が平荊関で日本の一個旅団を全滅させた話をしてくれた。そしてその他の戦闘でも、日本人は負傷した場合でなければ、ぜったい降伏しないという話もした。負傷者さえ、死んだふりをしているということだった。八路軍の担架兵が、彼らの上にかがむと、飛び起きて、立ちどころにこちらを殺した。賀竜の部隊が敵の輸送隊を潰滅させたときなど、日本兵がトラックにしがみついて、斬りおとすまで離れなかった。賀竜の部隊は、日本兵の死体のポケットから、日本共産党や日本反ファシスト連盟の署名のある反戦ビラ多数を見つけた。朱将軍はこのビラのことを話しだすと昂奮してきた。


「おそらくわれわれは、われわれの同志たちを殺しているんだろう!」と彼はさけんだ。「だが、仕方がない。これからは、わが軍の兵隊も、日本兵にむかってわれわれは捕虜を殺さない、とさけぶだけの日本語をおぼえないとだめだ。敵の兵隊は将校から、紅軍は捕虜をすべてなぶり殺しにするとおしえられているからだ」


朱将軍は中国語に訳されたビラの1枚をわれわれの前においた。その一部分をあげると――


「満州事変前後を通じて死んだ、あわれな20万の兄弟たち! いったい誰のため、何のために死んだのか? 軍国主義者たちのためだ――われら自身の国の軍国主義者たちの野心と貪欲のためなのだ! ふたたび奴らの手におどらされていいのか? 親愛なる陣中の同志諸君! 軍国主義者どもに、われわれの兄弟の生命をかえせと要求しよう。われわれはたちあがって、われわれの真の敵――軍閥と財閥に銃をむけなければならない。彼らを打倒してはじめて、われわれは、極東永遠の真の平和を成就することができる」



by far-east2040 | 2019-05-26 09:00 | 第10巻「歴史との出あい」改編

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            彭徳懐と朱徳(ネットから借用)


話の途中に彭徳懐が入ってきた。普段は厳格でしぶい人だが、敵の背後の広大な地域でおこった数々の小さな勝利を報告する彼は、実に楽しそうだった。朱将軍は、色あせた赤い星のついたみすぼらしい軍帽を、刈りたての頭の後の方へずらしたまま、目を細めて聞いていた。


「あなたに、われわれの大衆動員と大衆訓練の方法を視察してもらいたい」彭将軍は楽しそうに手をふりながら大声でいった。「人民は海で、われわれはその中を泳ぐ魚のようなものだ。これは民族革命戦争だ。勝利はわが部隊の勇気と自信と戦闘力と、指揮官と戦闘員の親密な関係、われわれと他の中国の軍隊との緊密な協力――そうしたものにかかっている。われわれは兵隊や民衆の間で、猛烈な政治工作をやっている。

民衆は男も女も子どもも、ひとり残らずわれわれのまわりに結集している」


彭将軍は両手をテーブルにつっぱって続けた。


「もちろん、あなたは力強いスローガンやポスターをたくさん見てるだろう。しかしもっと大切なことは、わが部隊や遊撃隊や民衆を教育することだ。われわれの目標は深い民族意識を発展させることであり、敵の状況ともくろみについて、わが部隊と民衆を啓蒙することだ。勝利はただでは得られないことを、みなが認識しなければならない。戦争はいま始まったばかりだ!」


朱将軍は目を細めたままだったが、じっと一点に目をこらす様子で答えた。


「そのとおりだ! だが国民党軍ももっともっと変わらなければならない。国民党の将校は、いまでも兵隊をどなりつけたり殴ったりして――頭ごなしに服従を強制している。あれは封建的なやり方だ。あれをやめて、友情、相互の敬意、信頼と助け合いでゆくべきだ。悲惨も幸福も、全員でわけ合わないとだめだ。将校と兵隊の生活状態も大体同じようにして、みなが心から戦場に立てるようにしなければならない」


「そんなことできますか」と私が懐疑的にたずねると、いつも楽天的な朱徳は答えた。


「それには時間がかかる。わが軍は模範にならなければならない。戦争がつづくあいだに、国民党軍を改革してゆく必要があり、そうしなければ敗北するだろう。ところであんなに多くの中国人の傀儡どもが日本軍の側で戦っているのは、なぜだろうか? 中国人によって中国を征服する、と日本人が自慢するのは、なぜだろうか? その理由は、国民党が、国内の封建的諸条件や軍隊内の封建的やり方を一掃するための努力を、何ひとつしなかったからだ。われわれは国民党に、その非をさとらせて、傀儡軍をわれわれの方に引きつけなければならない」



by far-east2040 | 2019-05-25 09:00 | 第10巻「歴史との出あい」改編

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 五台山の朱将軍の司令部は、以前は地主の邸宅だった大きな白い建物だった。私(スメドレー)が二人の中国人新聞記者といっしょにそこを訪ねると、彼は腰掛けにすわって散髪してもらっているところだった。手を振って大きな声で「ようこられた」といった。散髪がすむと、床から天井まで大きな軍用地図のかかった部屋へ私たちを連れていった。日本軍と中国軍の位置を指ししめしてから、八路軍の戦略と戦術を説明してくれた。


「戦略的にいえば、われわれは、持久戦、それから敵の戦闘力と補給の消耗をねらっている。戦術的には掃滅的な電撃戦をたたかっている。

われわれは軍事的に敵より弱いから、いつも陣地戦を避けて機動戦と遊撃戦を併用する。敵の兵力の完全な破壊をねらうと同時に、遊撃戦によって敵を混乱、滅損、分散、消耗させる。われわれの遊撃戦が敵をきわめて困難な状況においこむので、正規軍は有利な状況のもとで機動戦を展開することができる」


彼は将来の計画についても説明した。


「われわれの計画は、華北と西北一帯の敵の背後に、多くの地区山間基地を設けることだ。――たとえば敵の機械化部隊が作戦できない五台山のここのようなところだ。正規軍はそうした基地に帰って、休息や補充や再教育をおこなうことができるし、その中で遊撃隊や大衆を訓練することができ、また小規模な兵器廠、学校、病院、合作社や地区行政機関をそこに集中する。われわれはそういう基地から出ていって、日本軍の兵営、防塁、戦略地点、弾薬集積地、通信線、鉄道などを攻撃することができる。


目的を達すると部隊は姿をかくし、他の方面をおそう。それらの基地をかため、それを利用して、われわれの作戦領域をひろげてゆけば、ついに防禦戦略から戦略的攻勢への転換が可能になる。蒋介石もこの計画に賛成した。この五台地区基地は彼の許可を得てつくられた」



by far-east2040 | 2019-05-24 09:00 | 第10巻「歴史との出あい」改編

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 私(スメドレー)が193710月末に五台山の朱徳将軍の司令部に着いた当時、日本軍は二方面から――山岳地帯を越えて北方と、石家荘から深い渓谷をぬって太原府に通ずる鉄道支線に沿う東方から、省都太原府にせまっていた。国民党と省の軍隊は、北の戦線で日本軍をくいとめていて、東北軍その他の国民党師団は、八路軍の第129師団といっしょに、東の戦線で支えていた。八路軍ののこりの二個師団は、敵の後方で機動と遊撃戦を展開していた。

  

賀竜の第120師団は、山西省北部一帯を広く暴れまわっていた。一方林彪の第115師団の各連隊は、山西省東北部から河北省東部(西部の誤りか)にかけて作戦を展開していた。そして敵に占領された県城のいくつかを奪いかえしていて、京漢鉄道の爆撃さえ敢行していた。


旧軍閥の山西省政府主席閻錫山は、国民党の要人がみなそうであるように、敵の占領地域以外では民衆の組織と武装を許そうとしなかった。

そこで、敵の占領地域で作戦する八路軍は、内戦の数年間華南で多大な力を発揮したのと同じやり方で、人民を組織し、訓練し、武装した。農民、労働者、商人、婦人、青年、少年などの組織が作られた。村や町の成人は、地区自衛隊に組織された。屈強な青年たちは抗日遊撃分隊をつくって、八路軍を補助して戦った。捕獲した小銃で武装したこれらの分隊は、八路軍の損傷を補充する貯水池であった。




by far-east2040 | 2019-05-23 09:00 | 第10巻「歴史との出あい」改編

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 私(スメドレー)は、八路軍が前線に出発してから1ヵ月後に、五台山で、朱徳将軍の司令部に加わった。山西省の東北部にある五台山は、当時日本軍の後方になっていた。925日と26日の両日、林彪の指揮する第115師団は長城の平荊関で日本軍と戦って、中国最初の勝利を勝ちとった。


一方、この間、南京の共産党側代表は、紅軍主力が長征に出た後に江西や福建にのこった紅軍遊撃隊の集結を、蒋介石に承認させようと交渉をつづけていた。しかし南京が陥落し、20万の市民や捕虜が虐殺された後になって、やっと軍政部長は命令を出して、紅軍遊撃隊に、揚子江下流地域に集結して新四軍を編成せよといった。


それらの遊撃隊のやせ細ったぼろぼろの農民たちが、元のソビエト地区の山を出て行軍してゆくと、地主や民団が、いたるところで待ち伏せして狙撃したり殺したりした。指揮官の頂英と陳毅は、歯をくいしばって、部下に一発も応射するなと命令し、夜間行軍で危険な地域を通りぬけた。


11千の新四軍は、19384月安徽省南部に集結を完了し、葉挺将軍の指揮下におかれ、頂英は副司令となった。陳毅は師長になり、南京地区に浸透するため、すみやかに行動を起こした。新四軍は揚子江に沿う幅約50マイル(80キロ)、長さ150マイル(241キロ)の戦闘区域を割りあてられた。軍政部は、あざやかな計画をしたものだ。新四軍は、日本軍に対する機動作戦の場合でも、その区域から出ることを禁止された。一方その背後の南京地区には、かつてソビエト地区の掃討に使われた上海南京ギャングの配下の部隊が、配置されていた。国民党秘密警察の親玉の載笠将軍を最高司令にいただくこのギャングの部隊は、装備も給与も格段によかった。彼らの任務は、新四軍を閉じこめておいて、進出してくる日本軍の矛先に直接追い込むことだった。


 事情に通じた中国人や外国人から見ると、国民党が、これまで出来なかったこと、つまり八路軍と新四軍のせん滅を、日本軍にやらせようと期待していたことは、疑いなかった。




by far-east2040 | 2019-05-22 09:00 | 第10巻「歴史との出あい」改編