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 湖南省南部と広東省北部から集まった党代表の
桂陽会議は、3日間つづいた。それから代表たちは、12月の半ばに一斉に始まることになった蜂起の準備のため、それぞれの郷里へ帰っていった。会議の最終日、長い列をつくった農民の輸送隊が、范石生の司令部から、2,3百着の軍服と、かなりの量の弾薬をもって到着した。朱将軍が、広東市の共産党からの招請状をうけとったのは、ちょうど、5百人の漢口守備隊を、湖南省東部の茶陵という山の中の町へ送りかえし、さらにほかの部隊をほかの地方へ派遣する用意をしていたところだった。広東市からの招請は、ここでも12月半ばに計画している蜂起を援助するために、朱将軍にただちに行軍を開始することを要求していた。


 12月のはじめ、ただちに朱将軍は南方へ向かって進軍をはじめた。しかし朱将軍の部隊が行動をおこすやいなや、農民たちは、革命の合図の鐘が鳴りわたったものと考えて、いっせいに蜂起しはじめた。またたく間に、この小さな革命軍は、南湖南から北部広東にわたる全域に広がったはげしい土地革命の嵐の中に、完全に巻きこまれてしまった。農民は蜂起し、地主と彼らの民団を襲撃し、朱徳のもとへ使者を送って、援助部隊を送ってくれと必死にたのんできた。朱徳は、四方八方へ小部隊を派遣したが、同時にこれらの部隊に対して、南方の一定地点で集結し、広東市へ向かって進軍するように命じた。



by far-east2040 | 2018-09-30 09:00 | 第6巻「土地革命の開始」改編

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朱徳と彼の参謀は、数個中隊をひきいて南へ進軍をつづけた。彼らはまだ古い国民党の旗をかかげていたので、これを見た地主どもは、朱徳の軍隊が農民を鎮圧するためにきてくれたのだと勘違いして、どっと野蛮な歓声をあげてとびだしてきた。


 そういう場合には、朱将軍は次のような策略をもちいたので、その後20年間も、国民党の新聞は朱将軍のことを、「狡猾で背信的な匪賊の頭目」と呼んだ。朱将軍は、重大問題を熱心に聞くときには、いつも、両脚を大きく開いてすくっと立ち、両手を腰のうしろにまわしてぎゅっと組むのが、長いあいだの習慣になっていた。そういう姿勢で、朱将軍は、地主どもが、彼の軍隊をつかって、軽蔑すべき農民の反乱を粉砕してくれ、と熱心に懇願するのを、じっと聞いていた。
朱将軍はこう質問した。――地主の家族の男たちが腰にぶらさげている自動ピストルは別として、彼の民団は、小銃やその他の武器をどれだけもっているのか? これまでに農民を弾圧するのにどういうことをしたのか? また何人殺し、何人牢獄にぶちこんだのか? 国民党軍から軍事的援助を受けるために、どういう手段をとったのか?


 これらの質問にたいする回答をすべて聞いたあと、地主の傭兵を連れてこさせて、査問した。
そして民団と彼らの御主人たちが、気をつけの姿勢でつったっているあいだに、朱将軍は彼らを武装解除してしまい、その武器を農民にあたえ、地主たちと民団を農民裁判へ引きわたした。



by far-east2040 | 2018-09-29 09:00 | 第6巻「土地革命の開始」改編

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 革命軍の分散した部隊が集結し、広東省北部の広東市から2,3日行程のところにあるショウ関市に達したときは、すでに12月半ばになっていた。そのとき、彼らがいた地方一帯には、民団と「軍閥軍」――国民党軍全体とそのほかの反動軍をひっくるめて、朱徳はいつもこの名前で呼んでいた――が、いっぱいむらがっていた。


 朱徳の軍が、山地をとおりぬけてゆく道を探している最中、広東市の将校訓練連隊の武装した候補生たちの一個中隊と出くわした。彼らは、しゃがれ声の歓声をあげながら、朱徳軍に向かって走ってきた。これら候補生たちの話によると、広東市の蜂起は12月11日におこり、彼らと連隊も参加した。しかし、この蜂起の中で結成された広東コミューンは、3日後には、国民党軍と英国砲艦の共同攻撃によって打ち破られてしまった。数千の労働者、農民、革命軍兵士に対する、ものすごい大虐殺がおこなわれた。やっと逃げだした人びとは、小さな群れをつくって、この候補生たちの一隊と同じように、朱徳軍に加わって革命をつづけるために、こちらへたどりつこうと奮闘していた。


 朱徳将軍がかたった、この時期における国内情勢の要約は、次のようなものであった――広東コミューンは、ありとあらゆる大衆運動にたいする、反革命テロの新しい波を招くことになった。新たに加わった2百人の候補生を含めて、現在朱徳の直接指揮下にある工農革命軍の総数は、約1千7百人になった。北方の茶陵には、5百人の漢口守備隊がおり、さらに、そこからあまり遠くない井岡山には、毛沢東が指揮する千人の部隊がいた。


 賀竜将軍は湖南省北西部のどこかで再び農民軍を結集しつつあった。農民指導者、方志敏は、江西省北東部で農民運動を指導していたし、また、黄埔軍官学校卒業生の一小集団は、江西省中央部の東固山岳地帯に革命基地をきずきあげようとしていた。広東省東江地方では、彭湃がまだ「鉄軍」残存部隊と農民パルチザンをひきいて活動していた。



by far-east2040 | 2018-09-28 09:00 | 第6巻「土地革命の開始」改編

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 湖南省は、農民たちが「郷紳」と総称している、中国で最も残忍な幾人かの「虎地主」どもの領地として有名であるが、このときすでに、農民の反乱は、湖南じゅうを震撼させていた。必死になった農民たちは、毎晩のように、闇にまぎれて、民団の哨兵をねらいうちにし、その武器をうばって武装し、「郷紳」の邸宅を襲撃した。するとこんどは「郷紳」どもが、彼らの民団をひきつれて、眠りについた村々をおそい、農民の指導者をつかまえて、殺し、その首を棒の先につきさして、さらに、おそろしい見せしめにした。それは、どちら側にもまったく容赦のない無慈悲で残忍な闘争であった。ぼろをまとった農民たちは、襲い、戦い、そしてのろいの言葉をはきながら死んでいった。このとき南湖南の数百の村々で演じられた数多くの悲劇は、後年、この筆者自身が目撃したこと――つまり、地主と彼らの下僕どもが、日本帝国陸軍と協力して、その日、軍に対して行動する、主として農民からなる共産ゲリラ隊と戦った事実とまったく同じものであった。


 食糧もかくれ家もなく、負傷者をかついで、農民反乱者たちは、夜中になってから、眠りについた村へこっそり入ってゆく。つっかえ棒で押さえてある扉をトントンたたきながら、おし殺した低い声でいう――


 「仲間だろ、あけてくれ! おれたちは農民自衛隊だ。宿をかしてくれないか!」ふかい静寂が村中をおおっている。どのあばら屋も、じっと耳をすましている。だがまだ、ことりとも音がしないし、一筋の光ももれてこない。小屋の内側では、夜も昼も区別なくいつもぼろ服を身につけている男や女たちが、わらの寝床から黙ってそっとはいあがり、扉のところの物音に、じっと聞き入っている。女たちは男の耳元でそっとささやく――



 「あけてはだめ! 地主のウーや民団かも知れないよ!」


 もう一度、農民ゲリラは、扉をたたき、さし迫った声でいう――


 「仲間だろ! おれたちは、民団とたたかってきたんだ。おれたちは負傷しているんだ」



by far-east2040 | 2018-09-27 09:00 | 第6巻「土地革命の開始」改編

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 まるで際限もなく沈黙がつづいたように思われたのちに、やっと、扉がすこし開き、そのすきまから老人が頭をのぞかせ、槍や、猟銃や、たぶん分捕り品のピストルや小銃で武装した百姓たちと、ささやきをかわす。老人は、扉を大きくあけて、夜の闇の中へ出てゆく、それから耳をすましている家の中へ向かっていう――


 「やつらのいったことは本当だ!」


 まるで夢の中のできごとのように、村中の戸があいて、男たちが外へあふれ出てくる。彼らは稲むらからわらをとって、家の中へはこび、土間にわらの寝床を造る。それから扉がふたたび静かに閉められる。ゲリラ隊員と家のあるじは、わら床の上に腰をおろし、ひそひそ声で語りあう。女たちの方は、泥のかまどに鍋をかけて、火をつけ、遠くから米をはこんできて、料理する。


 こういったような光景が、華南のいたるところで、その後数年間にわたって、くり返された。
このような事実が、朱将軍に、しばしばくりかえし、このようにいわせた。「中国の農民は、地球上でもっとも革命的な人民だ」中国の農民が必要としているもののすべては、すぐれた指導、堅実な綱領、そして武器だけだ、と。1927年の冬の、あの暗澹たる時代に、朱将軍が部隊をひきつれてかえっていったのは、この湖南省南部の小世界であった。そこで、彼は、その後20年間、朱徳と毛沢東が指導した軍隊の基本的性格となった土地革命の模範を、つくりあげた。



by far-east2040 | 2018-09-26 09:00 | 第6巻「土地革命の開始」改編

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 城壁をめぐらした小都市宜章に近い宜章区に入ると、すぐ朱徳たちは、農民自衛隊と出会った。この自衛隊は2,3百人の兵力を持ち、18歳の青年、陳コウが指揮をとっていた。彼の話によると、彼の家族は、彼らが働いていた地主に殺されてしまい、生き残ったのは彼ひとりであった。自衛隊のほかの多くの人たちもそれぞれ、まったく同じか、似たような話をした。陳コウ――その後、1937年には彼は八路軍の師団司令になっていた――は、「郷紳」の要塞化された邸宅の襲撃を組織し、指導した。こうして、今この自衛隊は、朱徳軍に参加することになった。


 その次に、参加してきたものは、フー・シャオ・ハイというインテリだった。彼は、宜章の町にいる二人の共産党員の一人として党と連絡していた。彼らふたりの家族は、いずれも地主だったので、公然と合法的――このような反動のとりでの中で「合法性」というものがあるならばだが――に生活することができた。フーの報告によると、宜章を守っている民団は、わずか3百人にすぎない。町を支配しているのは、地主の小グループで、彼らは同時に、商人や国民党の役人だった。この一味はフーを使者として北部広東へ送り、反乱した農民を鎮圧するための援軍を求めさせた。


 このような情勢にもとづいて、フーは一計を案じた――もし朱将軍が、彼に2百人の部隊を指揮させてくれるならば、彼はこの部隊をひきいて町に入り、民団を武装解除し、町の支配者を逮捕することができるのではないだろうか?


 朱徳は、ただちに、古参兵二個中隊を選びだした。朱将軍は彼らに、こぎれいな服装で身をかざり、つとめて、国民党の軍隊らしくふるまうように命じた。1927年12月29日の朝であった。フー・シァオ・ハイにみちびかれたこれら二個中隊は、宜章市へ行進していった。市の支配者たちは、彼らを歓迎し、その夜指揮官たちを宴会に招待した。



by far-east2040 | 2018-09-25 09:00 | 第6巻「土地革命の開始」改編

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             建国後の簫克(Wikiより借用)



 夕やみがおとずれたころ、二個中隊の主な指揮官たちは、宜章の支配者たちと宴会で席をならべていた。彼らが食事をし、最上の酒で乾杯をかわしていたとき、二個中隊の兵力はびっくり仰天した民団を包囲していた。民団の処理をおわった二個中隊は宴会場を包囲した。中隊の指揮官たちは、立ちあがって、主人の方に向かって、こう挨拶した――


 「紳士諸君、あなた方を逮捕します! 静かに行ってください、わが軍は、現在、宜章を占領しました」


 この部隊につづいて、朱将軍も市へはいった。翌朝、宜章の城壁の上には、広東コミューンの赤旗がひるがえっていた。


 「その時いらい、われわれは、この旗を使った」と朱将軍は話した。「その旗は、赤地の中央に―労働者と農民の支配のシンボル―白い星と槌と鎌とが描かれていた。あくる朝、民衆の大集会がひらかれ、それまで弾圧されていた人民の諸組織の代表者で革命委員会が結成された。1928年1月1日には、湖南省で最初の工農委員会、すなわちソビエトを組織した。


 「ソビエトは、武装兵力、財政、教育、裁判、ならびに、労働者農民と婦人問題を処理する機関をつくった。8時間労働制が宣言され、賃金はひきあげられ、失業救済計画がたてられた。地主、軍閥、役人の財産は没収され、地主の土地は、まったく補償なしで没収すると宣告された。

借金は棒引きにされ、高利は犯罪行為だと宣言された。司法部は、逮捕した反動どもを大衆裁判にかけ、人民にたいして重罪をおかしたものとして、有罪の宣告をうけたものを射殺した。軽犯者は罰金を科されて釈放された。


 「私は、わが軍を二個連隊からなる師団に改編した。第一連隊は「鉄軍」の古参兵からなり、第二連隊は、これまでに参加していた農民自衛隊と、新たに編成された全部で約千人の宜章農民自衛隊で結成された。新しい義勇兵がぞくぞく参加してきて、まもなく、第二連隊の兵力は約2倍になった。しかし、当時われわれの政策は、正規軍をあまり大きくしない方針だった。われわれの政策は、農民を組織し、武装させることだった。後の中国紅軍―現在のわが八路軍―の多くの幹部たちは、この最初の湖南省における大農民闘争から出てきている。現在(1937年)、准将になっている王霞や、いまは師団長になっている簫克(しょうこく)は、この当時の闘争から出てきたのだ。簫克は、ある農民の6人の息子の一人で、当時すでに兄弟3人まで国民党軍に殺されていた。そのほかの兄弟も、そのとき紅軍に入ったのだが、その後戦死してしまった。わが軍の無数の戦士たちは、だれもみな、同じような身の上話を語ることができる」



by far-east2040 | 2018-09-24 09:00 | 第6巻「土地革命の開始」改編

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 朱徳軍の宜章占領後、湖南省南部と東部一帯に、革命の炎が燃え上がり、農民たちは土地の分配をはじめた。彼らは、つぎからつぎへと、朱徳の司令部をおとずれ、地主との闘争を援助してくれともとめた。朱徳は、幹部をえらんで農民につけて返すか、援兵として小部隊を送った。ほんの短い間に、彼の部隊の大部分はふたたび、広い地域に分散してしまった。地主たちは、生き延びるために、国民党軍か地方軍閥が勢力をたもっている大都市へ逃げ出していった。敵軍が南方から迫ってきたとき、朱徳は古参兵二個大隊を急いで派遣して、農民の組織と武装にあたらせた。軍閥唐生智が北方郴県に侵入してきたときも、朱徳は、さらに別の部隊を送った。とうとう、宜章を守備するものは、ほんのひとにぎりの労働者自衛隊だけになってしまった。


 占領後、3週間目に、蒋介石軍の二個師団が宜章に向かって進軍してきた。司令官は許克祥将軍であったが、彼は1927年の5月、湖南省で、数千の農民をみな殺しにし、「百姓殺し」として有名であった。全市が恐慌状態に陥り、みんな付近の村々に逃げ出した。朱徳は、彼の部隊を呼びかえし、宜章ソビエトと人民組織の指導者たちを連れて湖南と広東の省境の山岳地帯へ撤退した。この地方にはいった第1日目に、革命軍は2千人の民団を武装解除し、その武器を農民に引きわたした。


 「匪賊どもめ!」とののしりながら、「百姓殺し」は、彼らをみな殺しにしようとして、二個連隊を派遣した。しかし、彼の部下で結果を報告しにかえってきたものは、一人もなかった。そこで、許は、みずから五個連隊をひきいて、攻めてきた。このとき、革命軍がとった戦闘の仕方こそ、その後ずっと現在にいたるまで、朱徳軍の作戦の基本となった。朱将軍は、それについて次のようにかたった――


 「われわれは、人民に基礎をおいている。われわれは、自分で戦場をえらび、山を背にして布陣し、われわれの望むところへ敵軍をひきいれ、それから、敵の輸送隊を寸断し、敵の両側面を襲撃し、こうして、敵を包囲し、せん滅した。






by far-east2040 | 2018-09-23 09:00 | 第6巻「土地革命の開始」改編

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 「『百姓殺し』」自ら、司令官になって指揮していることがわかったとき、農民たちは、棍棒から猟銃にいたるあらゆる武器で武装し、四方八方から、約千人が増援にかけつけてきた。彼らは、『百姓殺し』を生けどりにしたいとのぞんでいた。1週間にわたる戦闘でわが軍の主力が敵の主力を攻撃していたあいだ、農民たちは、敵の輸送隊をせん滅し、バラバラになった敵兵を、まるで、豹のようにかりたてた。敵の一個大隊が木の橋をわたって逃げようとしたとき、とつぜん、橋が崩れ落ち、川に投げこまれてしまった。農民たちは、川の上下から、敵兵を駆り立て、水中に落ちたものはねらいうちにし、岸にはいあがってきたものはたたき殺した。戦闘の混乱のさなかに、『百姓殺し』」は小舟の底に身をひそめて、疾風のように川をくだって逃げてしまった。このことを知ったとき、農民たちは、すっかり悲観した。彼らの多くは泣いてその悲運をのろった。しかし、この戦闘で獲得した立派な小銃で、2千人の農民が武装することができた。


 「われわれは、『百姓殺し』が司令部にしていたシーピンを占領したとき、まるまる一個師団分の軍需物資や食糧、現金を見つけ出した。大通りには、障害物が山のようにつみあげてあったので、われわれは、この補給物資をのりこえて進まねばならなかった。われわれが捕獲した火器は、わが第二連隊全部を上等の小銃と軽機関銃で武装させるに十分なほどであった。


 「私は、数個部隊を派遣して、『百姓殺し』が占領していた宜章に向かってにげてゆく敵の一個を追跡させた。この敵隊は、まっすぐ町を通り抜け、そのさい、市の守備隊もいっしょにつれて、わが軍に追われながら、西方の山岳地帯に逃げこんだ。しかし、そこの山地にいた農民たちと、追跡したわが軍は、彼らの運命の息の根をとどめた。これで農民たちは、さらに5百の小銃を獲得することができた」



by far-east2040 | 2018-09-22 09:00 | 第6巻「土地革命の開始」改編

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 勝ち誇った革命軍は、そこで、
宜章帰って、ソビエトを再建した。他方、朱徳は、軍閥唐生智将軍が11個中隊をもって守っていた郴(ちん)県の県城へ向かって、2,3百の古参兵をひきいて北進した。その途上で、郴県城内で情勢をかぎつけた一群の農民と出会った。彼らは、朱徳にこう報告した――


 「郴県にいる軍閥唐生智将軍の11個中隊のうち六個中隊は、旧式の傭兵ではありません。やつらは、徴兵された小学校や中学校の生徒たちで、将校にするために独立訓練隊にいれられた連中です。大部分は、20歳以下で、16,7歳の子どももすこしいます。彼らの待遇は良好で、なかには、将来自分は将校になるんだと、誇りにしているものもいます。この六個中隊は、いま郴県を出て、あなた方と戦うために、宜章へ向かって進軍をはじめたところです。この戦闘が、やつらの最初の戦闘になるわけです。しかもやつらは、あなた方を匪賊と思いこんでいますから、おびえさせたらかえって戦うでしょう。やつらだけきりはなして捕虜にしてはどうですか、もし刃向かってくれば、そのときは殺してしまえばいいじゃないですか?」


 腰に手をまわして、つっ立ったままじっと聞いているうちに、朱徳の目はきらきらと輝いてきた。いっしょに立っていた陳毅やほかの参謀たちにむかって、朱はこう話しかけた――


 「学生六個中隊――しかも、すでにもうなんらかの軍事訓練をうけてる! われわれは、ちょうど、そういう連中を必要としているんだ。われわれは、連中を宜章につれていって、再訓練することができるし、それから、わが軍に参加しろと要求することもできる」


 合図におうじて、兵隊たちは、彼をぐるりととりかこみ、小銃を膝に抱いて、野っぱらに腰をおろした。そこで、朱徳と陳毅は代わる代わるに立って、この六個中隊を革命軍に加えることが、革命にとっていかに大切なことであるかを説明した。この六個中隊を待ち伏せし、武装解除し、ひとりの死傷者も出さずに捕虜にしなければならない。彼らを、あたかも道をふみあやまった兄弟にたいするように、とりあつかわねばならない。戦闘がはじまったとき、まっさきによびかけるスローガンは「仲間たち! 革命は諸君を歓迎する!」という言葉ではじめるべきだ。こういうことは、まず最初に学生たちを混乱させ、まごつかせ、おそらく、彼らを戦えなくしてしまうだろう。



by far-east2040 | 2018-09-21 09:00 | 第6巻「土地革命の開始」改編