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南昌蜂起は、敵の体制を混乱させてしまったので、「鉄軍」は、江西省の南端に達するまでは、まったく抵抗を受けなかった。

地主たちは、まだこういう情勢をほとんど知らなかったので、平気でやってきて、朱徳の先鋒隊と、穀物の取引でひどいかけひきをしたりしていた。


「私も、農民の状態を勉強するひまがあった」と朱将軍は話す。
「江西省の農民も、私の郷里の百姓と同じように、ひどく圧迫されていたが、それよりもっとひどく困窮し、絶望的な状態で、これを宿命として、あきらめの生活をおくっていた。


「江西省の大部分は山地で、作物の収穫はとぼしい。
地主は、小作料として収穫の七割をとっていたし、たいていの百姓は、毎年、地主から高利の借金をしなければならなかった。
その結果、百姓は、息子や孫にいたるまで、この借金にしばられて、永久に地主の奴隷状態におちいっていた。

百姓がどんなに貧乏だったかは、鍋についている油を最後の一しずくまできれいにすすりとっていたことや、ときたま一にぎりの塩を買うのがやっとだったことからも、想像できるだろう。

彼らは、水をもった鉢に一つまみの塩をとかしておいて、食事のとき、野菜を1切れずつひたして食べていた。

みんなやせこけて、半裸で、文盲で、暗い不潔な小屋に住んでいた。
その村々は、門が一つしかない、高い泥の壁でかこまれていた。


「石城県は、ほかの多くの県の典型だった。
この県の土地の大部分は、レイ一家が所有していた。
この家族からは、二人の男が国民党軍の将校になっていた。
その一人は、自分の直系地方軍をもっている将軍であった。

この一家は、町に大邸宅をもっているだけでなく、田舎にも、昔の山で囲まれた要塞の中に、大きな邸宅をもっており、そこへ、穀物や、金やその他の財宝をためこんでいた。
農奴にひとしい小作人がこの一家の土地を耕していた。
そのうえ、レイ一家は、数百人の農業労働者を使っていたが、この農業労働者は、本当の奴隷で、どんなに働いても、まずしい食べものと、おんぼろ小屋と、レイの家族が着古してすてた古着しかもらえなかった」



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by far-east2040 | 2018-08-31 09:00 | 第6巻「土地革命の開始」改編

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              蔡挺階(『抗日解放の中国』より借用)



8月5日の夜明け、「鉄軍」の2つの縦隊は、たがいに10から20マイルの間隔をたもって並行しながら、南方、広東に向かって進軍を開始した。

先鋒隊と呼ばれた朱徳の部隊は、東側の縦隊から二日行程ほど前方を進み、人民に対する工作をおこない、後続部隊のための食糧を購入したり、宿舎の用意をしたりした。
ある夜、2つの縦隊は
宜黄でおちあって、会議をひらき、さらに行軍をつづけたが、その後数週間の行軍のあいだ、両縦隊は定期的に集合しつづけたのである。


宜黄をすぎて、しばらくいったあたりのことであった。
鉄軍第十師司令官、
蔡挺階将軍は、急におじけづいて、真東へ方向を変え、部隊をひきいて福建省内へ逃げこんでしまった。

その後数ヵ月のうちに、ふたたび彼は「鉄軍」の前司令官、張発奎指揮下に加わったのである。

この間、張発奎の方は、九江にもっていた軍のうち二個連隊を引き連れ、別の道をとって南へ向かった。

彼は、広東へいって、この華南の都市を、彼の指導者、汪精衞のための拠点として確保したいと考えて、地方軍閥を集めまとめていた。


第十師が脱走したというニュースが「鉄軍」の兵士にひろがるとともに、兵士たちはしきりに脱走し始めた。

国中が混乱状態におちいっていたので、兵士たちは自分たちの故郷へ帰ろうと考えたのである。
彼らは、たくさんの小さい流れのようになって、本隊をはなれ、横道へそれていった。
彼らは銃をかついで、秋の収穫期に合わせて計画した蜂起(秋収暴動)にさいして、自分たちの家族を助けるために帰っていった。
多くのものは、彼らの戦友たちにむかって、広東みたいに郷里から遠くはなれたすぎたところにはゆきたくない、とか、あるいは、郷里へ帰って、彼らの家族をテロから守ってやる必要がある、とか、いいわけをしていた。
こういう人びともけっして革命からはなれてしまったのではない、と朱将軍はかたった。

彼らは秋収蜂起でたたかったし、その多くは、その後、もう一度革命軍に加わっている。
このようなできごとはアメリカ革命のさいにも、アメリカの内乱のさいにも、いずれにもあった典型的な現象だ、と朱将軍はつけ加えた。



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by far-east2040 | 2018-08-30 09:00 | 第6巻「土地革命の開始」改編

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           瞿秋白(Wikiより借用)


南昌の町は、いまや、革命旗の海と化した。
数万におよぶ人民と兵士が、どっと大集会に群れあつまり、演説する人のための演壇が10いくつもつくられた。
蜂起の翌朝、共産党の緊急会議が召集された。
陳独秀が、党書記長の地位を追われ、瞿秋白(くはくしゅう)が選出された。
この新しい書記は、有名な作家で、文芸復興運動の主要な指導者のひとりであった。


この会議は、革命委員会も選出したが、委員は、共産党員と当時まだ革命に忠実だった国民党指導員で構成された。

これらの国民党員の中には、孫逸仙夫人や、漢口政府の外交部長、陳友仁も加わっていた。
「鉄軍」は、そのとき南昌にいた革命委員会の委員たちとともに、広東省へ向かって南進を開始し、新たな革命政府を樹立することになった。

この遠征の資金をまかなうために、「鉄軍」と共産党から選ばれた委員会が、市中をまわって、銀行家やそのほか金持ちの家から、金を没収して歩いた。


ちょうどそのころ、朱徳は、新しい師団、第九師を編成して、みずからその指揮をとるように命じられた。

彼がにぎっていた軍官学校生3百人、南昌警察隊の全員4百人、それに数10人の労働者と学生が、この新師団に編入された。

しかし、蜂起で捕獲した小銃のほとんど全部は、すでに労働者や農民の手にわたってしまっていた。

農民運動講習所の男女6百人は、小銃と弾薬を小舟に積み、その上にわらをかぶせてかくし、流れをくだって、江西省のそれぞれの郷里へ帰り、農民を組織し、武装させる仕事にとりかかったのである。

方志敏は、多数の農民とともに、江西省東北にある彼の郷里、弋陽(よくよう)へ向かった。
その後数年足らずで、彼らはこの地方に、紅軍第十軍団をきずきあげた。


こうした事情から、朱徳は、彼の新師団の編成にあたって、わずか1千人の武装兵力しか動員することができなかった。


いよいよ土地革命が始まったのである。



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by far-east2040 | 2018-08-29 09:00 | 第6巻「土地革命の開始」改編

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           朱徳(Wikiより借用)



一瞬、部屋の中が、死の沈黙におちいった。

大きく笑いながら、客の方をふりかえった朱徳は、こういう乱れた時世には、いろんな噂が流れるものだ、そんな話はまったく信用できない、とうちけした。


「さあ、マージャンをつづけよう。
流言飛語にいちいち耳をかさないことにしよう」


椅子をうしろへはねのけて、ある将軍がたち上がって、いったーー


「たんなる噂にすぎないかもしれないが、今夜、なにか事件が起こりそうだということは、自分もきいてる。
みな部署に帰ろうじゃないか」


そこで、みないっせいにたち上がって、帰る仕度をはじめた。
あんまりしつこく引き止めると、かえって疑いを招くことになるので、朱将軍は、もっぱら冗談と笑いでわたりあった。
客がみな帰ってしまった瞬間、朱徳は一目散に、前線委員会にかけつけた。

そこで委員会は、ただちに蜂起せよ、という命令を下したのであった。


この新しい命令が「鉄軍」全体にゆきわたるには若干の時間がかかった。
しかし、まもなく、まず命令をうけとった1部隊から銃声がきこえはじめ、つぎつぎと全市にわたって、大浪がうねるように、銃火の音がとどろきつづけた。
朱徳と同志たちは、夜を徹して活動した。

明け方までには、南昌の市は「鉄軍」の手中にはいった。
それから数時間後には、遠く離れた村々まで、占領した。
さらに2日のちには、南昌の東南およそ40マイルにある戦略的要所、
撫州の町を、敵の1連隊の手からうばいとった。



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by far-east2040 | 2018-08-28 09:00 | 第6巻「土地革命の開始」改編

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「われわれはまた、南昌の全警察力をあてにすることができた。
警察は、軍官学校とともに、私の指揮下にあったからである。

しかし、私は、秘密会議に出かける前すでに、雲南軍から、軍官学校の1千3百名の全生徒を、各部隊に配置させるので、ただちに卒業させて、司令部に引き渡せという命令を、うけとっていた。
この生徒たちは、まだ訓練の課程を終了してはいなかったのだが、雲南軍の司令官は、蒋介石側へ寝返って、南昌を占領する用意をしていたわけだ。
だから、司令官としては、いざそのときがきたとき、南昌市内には、若い生徒が一人もいないようにしたかったのだ。
各部隊に分散させてしまえば、これらの生徒たちは、どうすることもできなくなるだろう。


「私は、強制的にこの命令に服従させられてしまった。
3百人だけをのぞいて、生徒全員が卒業させられ、分配配属された。
残った3百人の生徒は、蜂起に加わる用意をしていた。
私は、このほかの、できるだけ多くの生徒を残そうと努力したのだが、時間がないために失敗してしまった」


蜂起の夜、朱徳は、前線委員会の命令にしたがって、南昌市内にいた第五路軍と第六軍の全将校を集めて、大宴会をひらいた。
彼は、連隊長級以上の将校だけを招待した。
彼らはまだ、朱徳が雲南軍の将校で、国民党の指導者のひとりだと思っていたので、みんなやってきた。


夜の9時ごろ、食事が終わって、客人たちが、ちょうどマージャンのテーブルについたところであった。
じつは、朱将軍は、蜂起がはじまる予定の真夜中まで、マージャンで、彼らを釘付けにしておこうと、計画していたのである。
ちょうどその瞬間、扉がおしあけられ、賀竜将軍の第二十軍の、ある大隊長が、かなり興奮した様子ではいってきた。

この若い隊長は雲南省の生まれだったが、料亭にあつまっていた連中の大部分も、彼と同郷人であった。


この若い隊長が、自分はたったいま、自分の市中警備区域内の雲南軍部隊を武装解除せよ、という命令をうけとったと、もつれる舌で報告したときには、朱徳はがっかりしてしまった。
雲南人のひとりとして、この隊長は、はたして自分と同じ同郷人を武装解除していいものかどうかわからなかったので、一体どうしたらといいのか? とたずねたのだ。



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by far-east2040 | 2018-08-27 09:00 | 第6巻「土地革命の開始」改編

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            黄琪翔(Wikiより借用)



「南昌の事情については、私がいちばんよく知っていたので、敵と味方を問わず、蜂起に関連してくるすべての諸勢力についての情報を、前線委員会へ報告するという仕事をあたえられた。
調査する時間はほんの少ししかなかったが、私はすぐ、あらゆる情勢に通じることができた。
われわれの敵にまわると予想されるものは、まず、南昌の隣接地帯に駐屯していて、国民党第六軍に属する多くの連隊と、南昌市内やその周辺に駐屯する雲南軍――第五路軍――の多くの連隊である。
さらに、南昌へ2日以内で行軍できる距離まで移動してきた雲南軍の1、2師団とも、戦わなければならなくなるだろう。

反革命の嵐がひろがるにつれて、これらの部隊はすべて、南昌を占領し、大衆運動を粉砕しようと準備をすすめていた。


「味方の陣営には、労働組合、農民組合、学生同盟など、南昌のすべての人民組織と、農民運動講習所があった。

この講習所の所長である方志敏も、党の秘密会議に出席していた。


「『鉄軍』に属する部隊の大部分は、たよることができるが、総司令官張発奎とか、第四軍司令官黄琪翔とかは、いずれも汪精衞の追随者であって、信頼することはできなかった。

彼らは、この『鉄軍』を、蒋介石との権力争いでかけ引きの材料に使おうとしていたのだ。
第四軍の大部分の部隊は、
張発軍が彼の司令部を置いていた揚子江岸の九江に駐屯していた。


南昌にある『鉄軍』の支隊司令部は、第十一軍司令官、葉挺将軍の指揮下にあった。

第十一軍と第二十軍の全軍は、南昌市内とその周辺にいて、九江―南昌鉄道の沿線には、蜂起に参加する準備をしていた第四軍の一個連隊があった。



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by far-east2040 | 2018-08-26 09:00 | 第6巻「土地革命の開始」改編

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           譚平山(Wikiより借用)


「われわれが、この新しい政策を実行に移す最初の行動は、南昌『鉄軍』の武力蜂起をおこない、つづいて、この軍隊を広東へ進軍させ、新たに国民革命政府を樹立することであった。

南昌蜂起は収穫期に合わせて計画した農民蜂起の合図となり、相呼応してたちあがった農民は、民団、すなわち地主どもの私兵部隊から、うばいとった武器で武装することになっていた。

しかし、後になってわかったことだが、軍隊を使って、農民蜂起を援助した指導者は、毛沢東ただひとりだったのである。

毛沢東は、こういう闘争を通じて、もっとも活動的な農民義勇隊をえらんで、その部隊を増強していった。


「この秘密会議で採択された政策は、次のスローガンで要約することができるーー

反軍閥・反帝国主義闘争をつづけろ――

南京とたたかえ、蒋介石とたたかえ――

農村革命を開始せよ――

人民を武装させろーー


「私は、これらの対策のすべてに、賛成の票を投じた。
われわれみんなは、混乱とテロのまっただ中に立っていたのだが、私は、ついに肩の重荷をおろしたように感じた。
そのときまでは、私は、党の政策について、なんらの発言もしてこなかったが、自分に与えられた任務だけは、力のかぎり遂行していた。


「会議がおわると、同志たちは、それぞれ指命された任地へ去っていった。
毛沢東は、漢口に帰って待機し、南昌蜂起と同時に、漢口守備隊内の多数の黄埔軍官学校生とともに、守備隊をひきいて、湖南へ南下することになった。

蘇兆徴は、揚子江流域の労働者組織への工作をすすめ、蜂起の準備をするために出発した。

南昌蜂起の準備と指導をする前線委員会に選出された多くの人たちは、ただちに南昌に向かった。
私も、この委員会の一員にえらばれた。
委員のなかには、第十一軍の
葉挺将軍、第二十軍の賀竜将軍をはじめ、その軍の参謀長や、政治委員たちもふくまれていた。

劉伯承が前線委員会の議長になり、周恩来が副議長であった。
そのほかの委員には次の人びとがいたーー
葉剣英、党指導者として李立張国燾(ちょうこくとう)の二人、譚平山(たんへいざん)劉志丹

          

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by far-east2040 | 2018-08-25 09:00 | 第6巻「土地革命の開始」改編

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1927年7月18日、朱徳将軍は、ただちに任地を離れて、江西省北部の、南昌からそれほど遠くない小さな村でひらかれる共産党秘密会議に出席せよ、という招請をうけとった。
その日の夕刻、ある大きな建物へ入ってゆくと、そこには共産党の主な指導者たちが、多勢あつまっていた。


あたりには彼のよく知っている人びともたくさんいたが、名前だけしか聞いたことがない人もたくさんいた。
上海で殺されそうになって、あやうく脱出した
周恩来もきていた。
みんなは、周のことをただ「鉄の人」と呼んでいた。
四川省でかろうじて死地を脱出した
劉泊承もいた。
中国総工会の書記で、漢口政府の労工部長をしていた
蘇兆徴も、農業部長の譚平山といっしょにきていた。
また「鉄軍」の第十一軍と第二十軍の指揮官や参謀たちや政治指導者たちーー
葉挺、賀竜、葉剣英、李立三、劉志丹――もきていたが、彼らこそ、その後の歴史をつくったのである。
劉志丹は、もっとも初期から孫逸仙の運動に参加した一人である。


朱徳将軍が会ったことはあるが、名前は知らなかった人たちもいた。
そのひとりに、背の高い、やせた男がいた。
その名前は
毛沢東といい、農民運動の指導者で、共産党の政治局員であり、かつ国民党の中央委員にもなっていた。


朱将軍は、もっぱら、この会議で採決した諸決定の大すじだけを、私に話してくれた。


「われわれは、国民党に対するこれまでの政策を変更した。
一方で反軍閥、反帝国主義闘争はつづけながら、同時に、農民と労働者に武装させ、土地革命をはじめるという方針を採択した。

私も発言して、この決議に賛成した。
しかし、このような決定的な時期においてさえ、われわれが採決した農民政策は、極度に制限をうけていた。
地主の土地の没収に対しても、あるいは、農民の蜂起を援助するためでさえ、『鉄軍』をつかう計画をたてることができなかった。
この種の活動は、種々の人民組織や、党の幹部にまかされた。
われわれの党は、まだ若く、経験も浅かった。
あまりにも急速に大きくなったので、われわれはまだ、党の統一をかため、党の幹部を理論的に教育することができていなかった。
われわれは、はじめ、たやすく手にいれた勝利に陶酔してしまい、まもなく、いきなり、反革命によって、絶望のふちへたたきこまれたのであった。



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by far-east2040 | 2018-08-24 09:00 | 第6巻「土地革命の開始」改編

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           宋慶齡(Wikiより借用)


孫逸仙夫人は、国民党に対する歴史的宣言のなかで、中国人民に深い感銘をあたえた。


「わたしたちは、人民をあざむいてはなりません。
わたしたちは、人民のあいだに、偉大な希望をそだてあげてきました。
人民は、わたしたちに深い信頼をささげてきました。
この信頼にたいして、わたしたちは、最後まで、忠誠をつくす義務があります」


しかし、そのときすでに、国民党は人民を裏切っていた。
内陸のあらゆる主要都市はもとより、無数の街や村の路上は、労働者や農民やインテリの血の洪水と化していた。
反動どもは、「あれは共産主義だ」という野蛮な叫びをあげながら、胸の奥に偉大な希望のともしびを燃やしている貧しい人びとを、かたっぱしから殺していた。
事実、そのとおり、中国共産党こそ、これらの貧しい人びとをふるいたたせ、組織し、指導していたのである。
共産党が貧しい人びとの党だったからである。


いたるところで希望が失われてゆくのを見たとき、いまや、この党は、敵と闘うか、それとも降伏するか、いずれかを選ばなければならなかった。
ずっとむかし、19世紀の半ば、偉大な「太平」の指導者、石達開も、ちょうど同じような窮地にたたされたことがあったが、そのとき彼は、こう叫んだーー


「戦っても死ぬ。戦わなくとも死ぬ。

それならいっそ、戦おうではないか」


歴史は決して、ぴったりそのとおりにくり返すものではない、ということを、共産主義者はよく心得ている。
だから彼らは、断固として戦い、――かつ、生きのびようと決意したのであった。



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by far-east2040 | 2018-08-23 09:00 | 第6巻「土地革命の開始」改編

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この巻では、1926年から1927年7月中旬ぐらいまでの期間の軍閥と外国人支配に対する闘争が描かれている。

国民党右派、左派、共産党などの政治的確執は水面下。

蒋介石が北伐軍総司令官として台頭し、歴史に名を残していくプロセスがわかりやすい。

現在の中国が外国からの干渉を警戒し、さけようとする国情も歴史的にみれば理解しやすいと思う。


映画や本になってよく知られている3人の宋姉妹も登場してくる。

映画では長女はお金を愛し、次女は国を愛し、三女は権力を愛したと語られているが、言い得ている。

長女はほとんど政治的に目立つことはなかったけれど、裏で実質的に宋慶齡以外の宋一族を動かしていたのはこの女性といわれている。

気になるキーワードは、


張作霖――満州軍閥で日本陸軍との関係は濃厚。

 

畜妾――孔子の教えでは推奨されていたと読んだことがあるが、確認したことがない。

    軍閥の妾の数の多さにびっくり。


イギリス軍――中国への干渉の仕方が露骨だ。


軍閥の堕落――


万県事件――イギリス軍による中国への4回目の干渉。
  イギリス人は自国の近代史をどう教えられているのか。

      第二次世界大戦が終わったときは同盟国のような関係だったので、それまでのことは帳消しされた感じがする。

      数と露骨さでは、日本軍の方がはるかに上回っていたのはたしかだが……。


葉挺――鉄軍の指導者として活躍


賀竜――鉄軍の指導者のひとりだが、ユニークなキャラと経歴の持ち主。

    現在中国に「賀竜スタジアム」という施設があるのだが、その賀竜のこと。どういうふうに「賀竜」になっていったのか興味が尽きない。


政治指導員――軍指導者だけでなく、政治指導員としての毛沢東、周恩来の名がこのころ浮上してくる。毛沢東は論文を仲間内に発表している。今ならネットで自分の主張をある程度まとめて発信することか。

   

毛沢東と陳独秀の確執


彭湃――農民組織者のひとり。純粋な人だ。


劉伯承――朱徳のように軍閥から共産党に転向した軍指導者。


上海ゼネストーー2回とも周恩来が企画したと。そのとき周恩来も捕まるが、脱走に成功。敵の士官が積極的に追わなかったから。ここで死んでいても不思議ではない人だ。


土地の分配――農民みずからがこのころから始めた。ただし、土地の分配は中国の歴史上民衆蜂
起があれば、必ずしたこと。それを太平天国もある程度やり、中国共産党が徹底的におしすすめることになる。

      

南京事件(1927年)――蒋介石が反革命の態度をとるようになるきっかけになった。      外国が手助けしている?

            

上海虐殺――宋慶齡が怒りを表現する。

      故孫逸仙夫人として初志を貫けた理由のひとつに、周恩来夫妻との水面下の友情があったと読んだことがある。


蒋介石と宋美齡の結婚――宋姉妹の長女宋アイ齢のシナリオですすんだ結婚。大富豪孔祥煕夫人としての地位を利用して、かなり大胆で無節操なふるまいで資産をさらに増やしていった女性。

          

つづいて第6巻は、大虐殺をくぐり抜けた革命側の新たな戦術が展開される。

         


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by far-east2040 | 2018-08-22 20:01 | 『偉大なる道』