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              韓国ドラマ「黄金時代」オフィシャルサイトより借用


このドラマは「友情」と「擬似家族」もテーマにしているように私は見えた。
日本以上に「家族」や「一族」意識の強い儒教伝統社会において、親以外の血縁がほとんど出てこなかったことが印象深い。

焦点をしぼるために、あえて主人公たちをみな一人っ子にしたのではないかとさへ推測している。

特に上層階級のチェフンも婚約者も兄弟姉妹の存在がドラマの中ではまったくなかったので、一人っ子のように見えたが、現実ではありえない。
銀行の資産を巡る攻防を描いているので、普通は兄弟や従兄弟等々何らかの一族が出てくるものだと思うが。

別に韓国だけのことではないが、お金があるところにはいろいろな親族が集まってくるものだと思う。


そのあたりの確執がまったくなかったので、このドラマは血縁関係とは別の世界で、純粋な信頼にもとづく人間関係を描くことに成功しているように思えた。

また最終話まで飽きずに観れたのは、民族系銀行の頭取であった父を殺害されて孤児になったヒギョンが、恵まれない境遇の中でけなげに生きていく姿への好感と、ヒギョンが誰と最後は結ばれるかという好奇心のためだった。

婚約者のいるチェフンだったが、カンチョル同様、ヒギョンの近くで好青年として存在していたからだった。
さらにドラマはややこしくて、ヒギョンの父親の殺害に関わっているのが、チェフンとカンチョルの父親だった。

チェフンの父親は上昇志向型人間ゆえの野心と野望があった。
カンチョルの父親は誠実だが貧しい境遇ゆえに持つ「弱さ」があった。
チェフンとカンチョルはそれぞれの親の動機を知った。どうなるか?
うーん
想像していなかったけれど、結末には納得できた。

時間の余裕ができたら、韓国語の勉強を兼ねて、もう一度主人公たちに会いたいと思っている。


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by far-east2040 | 2016-10-04 10:35 | 生き方・友情……

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              韓国ドラマ「黄金時代」オフィシャルサイトより借用

このドラマは民族系銀行の内紛の周辺を描いているので、戦時色はあまり出ていなかった。

本土とは違い、朝鮮半島には空襲もなかったし、強い思想統制もあったので、表面的にはのんびりしていたように想像する。

「日帝」への反発は中国大陸や「地下」で生きるしかない時代だった。


しかし、朝鮮半島で戦中末期に実施された徴兵制について考える瞬間があった。
実業学校の教師をしているカンチョルが自分の教え子を戦地に送りたくないということで、友人のチェフンに銀行で採用してくれるよう頼んでいたシーンがあった。銀行員になれば、「徴兵免除」を受けることがわかった。

南大門市場や町を行きかう民衆に若い人がほとんど見られなかったが、実際もそうだったと思う。
若い世代は徴兵免除を受けているか、伝染性の病気を持っているかのどちらかでなければ、徴兵で戦地か、徴用のために日本本土の軍需産業の現場や戦地に強制的に連れて行かれているはず。
それがいやだったら「逃げる」という道しか残されていなかっただろう。

カンチョルは教師から銀行員になったのだが、教師のままだったら「徴用」の対象になっていた可能性はあると思った。
そういう意味でカンチョルとずっと一緒にいた友人が、ぶらぶらすごしているのが不自然に見えた。孤児だから対象からもれたと考えたらいいのだろうか。

この時期の日本の戦局はかなり悪く、兵が絶対的に不足していた。

学徒出陣という名で学業半ばの学生も戦地に行く時代だった。朝鮮半島にいる45歳以下の健康な日本男子も、いつでも戦地に行く覚悟は持っていたようだ。

『慶州は母の呼び声』(森崎和江著)より


「秋になりイタリアの降伏が伝えられ、兵役法がかわったとかで父が20数年前の奉公袋を出した。父もいつ召集されるかわからないことになったという。南方の島々に次々と米軍が上陸する。そして、10月、朝鮮海峡を往来して釜山と下関とを結んでいた連絡船の崑崙丸が、アメリカの潜水艦によって撃沈された。」


イタリアの降伏は1943年の9月のことで、奉公袋は遺書や連絡先を書いたものを入れた袋で戦地に持っていくものだった。

著者の父親は40歳前後と推測される。

こういう人が徴兵免除されないのだから、かなり兵力が不足していたと想像できる。

確かこの頃松本清張もニューギニア戦線の補充兵として運悪く召集され、兵団を編成するために朝鮮半島にいたのだが、30歳前半で妻子ある身だった。

決して若くない年齢なので、自伝では町内の誰かの心証を悪くしたためではないかというようなことが書かれていた記憶がある。
幸い戦地ではなく、朝鮮半島で終戦を迎え無事に妻子の元に戻ることができた。

この人が戦死していたら、戦後の文学界違っていたと思う。


松本清張は、朝鮮戦争後スパイとして北朝鮮で裁判をかけられ亡くなった詩人林和(イムファ)のことをきめ細やかに描写した『北の詩人』を書いている。

結核を病んだ繊細なこの詩人が、生活苦の中で宣教師から特効薬とか栄養のある食物との交換条件でズルズル関係を深めていく苦悩が松本清張独特の想像力でリアルに描かれていく。


亡くなった父もこの本を読んで感銘受けていたのだが、中でも米兵の描写が自分の実際観た感じとまったくいっしょだったことに驚いていた。

たとえば米兵の髭を剃り上げた顎あたりの色が緑色に見えたとか、履いていたズボンがぴしっとプレスされていたので、折り目が剃刀の刃のように見えたとか。

父は松本清張の自伝までは読んでいなかった。

この作家がもし朝鮮半島ですごす時期がなかったら、『北の詩人』は書けていなかったのではないかと思う。


ずっと以前、文学に詳しい韓国人留学生に林和のことについて訊いたことがある。彼女の肯定する返事とそのときの暗い顔つきをまだ覚えている。

時代に翻弄された線の細い林和のことを考えると人間の弱さを思い切ない気持ちになる。


さて話をもとに戻すと、朝鮮半島にいた父も「徴兵免除」をもらっていたが、徴兵検査は対象年齢の若者として受けた。

ところが自覚症状はないのに「結核」にかかっていることがわかり、「不合格」という結果をもらっている。当時の「結核」は「死の宣告」を意味したが、それでも「合格」した若者から「不合格」をうらやましがられたということだった。

現地ではなんとかわが息子も徴兵免除を受けさせたいと、父のポジションである農業技手になんとかならせようと努力していた金持ちの人がいたと聞いている。


例外もあったことは承知しているが、あの時代においては徴兵や徴用を避けたいと思うのが普通の感覚だったと思う。



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by far-east2040 | 2016-09-30 16:24 | 生き方・友情……

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               韓国ドラマ「黄金時代」 オフィシャルサイトより画像借用


きっかけは、ネット上で日韓併合時の朝鮮半島や日本本土が描かれている珍しいドラマと知ったからだった。
途中で挫折した「チャングムの誓い」と違い、全20話とそんなに長くないので、とりあえず1巻借りてみた。
「はまる」とはこういうことかと自覚しながら、とうとう最終話まで観た。


1927
年、釜山から日本に向かう船の中で出会った同い年のクァンチョルとジェフンは、身分の差を越えた友情を育んでいた。しかしそんな2人を快く思わないジェフンの父親ヨンホにより、いつしか2人の仲は引き裂かれてしまう・・・。父親のジンテが京城銀行頭取のビョンイクを殺害する事件を目撃してしまったクァンチョルは、長年そのことで苦しむが、皮肉にも彼の娘であるヒギョンをやがて愛するようになる。10数年後、それぞれの道を歩んでいたクァンチョルとジェフンに、感動の再会が訪れるが・・・。(韓国ドラマ「黄金時代」オフィシャルサイトから抜粋)


よくできたドラマだと思った。

ちょっと原罪をテーマにした三浦綾子の『氷点』や松本清張の小説と重なる雰囲気を持っていると思った。

人間は生きているかぎり、その時代の社会的、歴史的な事柄に影響を受けているのだから、こういう背景を抜きにしたドラマは、私には物足りなくて楽しめない。

このドラマを通じて、社会的、歴史的な背景のもとに繰り広げられる人間ドラマが好きなんだという自分の趣向を再発見した。


このドラマは韓国で2000年から2001年にテレビで放映され、高い視聴率を取ったという。
私の周辺でもかなり高齢女性のファンが多かった『冬のソナタ』の前年の作品だ。

日本では『冬のソナタ』はかなり評判がよかったらしいが、私は見ていない。

たとえば瓜二つの別人が出てくるとか、このドラマはいろいろありえないことがよく起こると聞いていたし、子育てで一番大変な時期でもあって、結局見る機会がなかった。

題名からかなり甘そうだなとは思ってきたが。


さて、この「黄金時代」では関釜連絡船は出てくるし、釜山港、下関港の光景、在日一世の原型のような男、戦中の様子を観ていると、いろいろ考えさせられることが多かった。

完全な「時代考証」ではないと考えても、私がそれまで写真や残された記録だけで築いているイメージよりはるかにリアルに展開してくれた。

かわいい子役たちの演技もうまい。
出身階層が違うチェフンもカンチョルもどっちも味わいがあってよかった。
特に、カンチョルにはあの服装のまま家に来てもらって、ごはんをいっぱい食べさせてあげて、「おばあさん、おいしいよ」といってもらいたい妄想の世界に入っていきそう。

ああいう子役に弱いことも自覚している。

韓国女優としてはそれほど美形ではない女優が陰の主人公を演じているのだが、演技に惹かれるものがあった。
「あんなとこで写真を拾うかな」とか、「あんなとこで会うかな」というようなシーンもあるし、冷静に考えたらありえない話なのだが、感情移入しているうちに、絡み合いそうにない登場人物達が、いつのまにか自然に絡み合っていることに気がつく。
そんなドラマだった。


他のドラマは観ていないが、私の好みでは「黄金時代」を韓国ドラマではベストに位置づけている。



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by far-east2040 | 2016-09-28 09:55 | 生き方・友情……

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1961年に出版された同名の小説『キューポラのある町』は現在は公共図書館で探すのは苦労すると思うが、アジア図書館ではKOREAを知るための文学書の1冊としてさりげなく棚に納まっている。


1962年に公開された吉永小百合さんが演じる多感な十代の少女の成長物語だけれど、その時代の北朝鮮への帰国事業に沸く下町の人情を描いていることが、私には興味深い映画作品になっている。


あらすじはWikiによると、

中学3年の少女ジュン(吉永小百合)は、鋳物職人の父・石黒辰五郎(東野英治郎)が解雇されたことからはじまり、貧困・親子・小中学生の不良化・民族・友情・性など多くの問題に直面しながら、まっすぐに生きていく。


舞台は埼玉県川口市の鋳物の街。ほとんどの人にとってなじみのないキューポラ(鉄の溶解炉)ということばを知らしめたこともこの映画の功績の1つだと思う。

事業自体は1950年から1984年まで続いたとあるが、この映画は1962年前後の関東の下町での状況を描いていることになる。

当時の帰還事業がどんなものだったかを知りたいなら、この映画はとても参考になる。

昭和の下町の雰囲気が濃厚だ。
こういう町ぐるみのお祝いムードの中で多くの在日Koreanたちが北朝鮮に行ったのだと思うと、現実を多少知った今は複雑な心境になるのだが。

当時にそれを求めることはできない。あまりにも美化された情報が人々を酔わせたように思う。

「就職」と「生活」を保証するということがいかに人々に希望を持たせたか。

それと傍から見れば、Koreanが自分の祖国に帰ると見えたかもしれないが、この事業で帰国した人のほとんどは今の韓国をふるさとにしていた。
この帰国事業は韓国では北送事業と呼ぶらしいが、当然反対する立場をとってきたのもうなづける。

「かわいそうやな。ほんとは大変な生活が待ってるのに」なんて陰で考える日本人関係者はほとんどいなかったと思われる。

在日にしても極端な反共主義者でなければ、悪いものとしては写らなかったと想像する。

映画の中の人々の持つ雰囲気は社会党系のシンパの人たちと思っていたが、原作者早船ちよさんは共産党員だったことを知って認識を新たにした。

原作をぺらぺらめくって読んだことがあるが、映画もそうだが、いかにも「貧しいが明るい」ところが私には作者の気質が表れているように思う。
主人公ジュンが同級生の友人に、帰国したら高校へ入学させてもらうように純粋に語るシーンなんか、現実はどうだったんだろうかと思うと、つらい。

よく見かける脇役の俳優で、帰国する在日Korean役をしていたが、壮行会のような場で日本人たちの前で涙ながらに礼を述べるシーンが「名演技」で、現実にはこんなシーンあったんだろうかと考えると笑える。
庶民にとっては、生活できることが大事であって、イデオロギーなんてむずかしく考えることはなかったにちがいない。

Koreanとして生活できること、進学できること、働けることに共感しただろうなと思う。

小説のストーリーは起伏に富んだところもなく、それほどの魅力を持っている作品とは思えないけれど、主人公の背景で帰国事業をさりげなく描いていったところがユニークなものにしている。こんな作品他には見当たらない

さらに映像で時代の雰囲気を残してくれたということでは貴重な作品だと思う。


なお、この映画は多くの果実をもたらした。日活の助監督だった浦山悟郎の監督昇格デビュー作でありブルーリボン賞作品賞を受賞し、主演の吉永小百合さんも主演女優賞をとるなどして、女優として大きく飛躍するきっかけになったという。

彼女の健気な演技が、社会問題を扱う映画にありがちな硬さをゆるめて、この映画を名作にしてくれたように思う。
映画界という華やかな世界にいる現在の吉永小百合さんの人生の越し方、生き方にこの映画から1本の筋を引きたくなる。



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by far-east2040 | 2016-09-26 13:09 | 生き方・友情……

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私はむずかしい哲学書は読めないのに、アーレントの本は読みたくて仕方がなかったときがあった。
しかし、せっかく手に取っても、ペラペラとめくってみた段階であきらめることが少なくなかった。

難しい原書からの翻訳であることも原因だと思う。

「どうしてこんなむずかしいことを考えてるのか」なんて思ったりして、1ページでがっかりしたこともあった。


代表作ともいえる『人間の条件』とか『革命について』などはある時期のある世代によく読まれたことは、古本屋で探しているときに、いかにも「なんとか世代」と呼べそうなご主人が教えてくれた。


私が読める著作はユダヤ人として、または人としての普遍的な生き方を論じたもの。

アーレントは女性であることにあまりこだわっていない感じがした。
じっくりと読んでいく中で「そうやな」とじわーっと納得できる瞬間が好きだった。

この女性は非キリスト教徒で多分非ユダヤ教徒でもあるけれど、ドイツ哲学を学んできた人だからか、書かれた文章の「人生」という語を「神」という語に置き換えても違和感なく読めた。


ヨーロッパでは「人生=神」なんだと私流に解釈している。

彼女の生き方論の中に、キリスト教の世界観に近いものを感じるときが、私が入っていける隙間でもある。
『パーリアとしてのユダヤ人』という著作が比較的読みやすかった。


もう彼女の著作は1冊も手元にないので、確認しようがないが、要するに人生に期待するのはまちがいで、人生から意味を汲み取れという内容の文章に特に惹かれた。

年齢を重ねると、逆の発想つまり人生に期待したり、真剣に願をかけたりすることは悲劇に通じやすいことはわかってくる。

でも、人間弱いので、私なんかもよくやってしまう。


人生から意味を汲み取る際、キリスト者は人生を人格神にして、さらに人間に近いイエス・キリストという介在者を置いて安らぎを得ている。

これは神学から離れた自己流のキリスト教解釈。


アーレントは有名なドイツ人哲学者ハイデッガーの教えを受けた学生であり、後に愛人としても知られていて、ハイデッガー自身が著作を完成させる上で彼女からインスピレーションを受けたことを率直に語っていたらしい。

こういうふうにいわれて、アーレントはどう思ったのか知りたいところ。


哲学書を楽に読みこなせない私から見れば、ハイデッガーの功績は今一つわからない。

「時間」とか「存在」という実態のないものだけで論文が書けるというのが、哲学の深みについていけない部外者から見れば驚異に値する。

だから二人の関係でみれば、ハイデッガーになんとなく不審感持ってしまうのだが。


この女性の書物を通じて、戦前戦中のヨーロッパのユダヤ人が善で、迫害したドイツ人が悪という単純な構造で捉えることが間違いであることを教わったのだが、これは衝撃的で受け入れがたかった。

ユダヤ人側からの協力や取引などもあったようなことも書いていたと思う。

ユダヤ人大量殺戮に濃厚に関係したアイヒマンの裁判を傍聴して、そこにいるのは命令に忠実な小心な役人にすぎないと記事にしたりと、イスラエルという国家がこの裁判をショーにしたと批判。


こういう独特の言論活動を通じて、ユダヤ人の友を失ったり、イスラエルという国家から敵視されてたようで、それでもすべてを語っていないだろうとあの歴史家鬼塚英昭氏は強い語調で書いていた。


ユダヤ人の迫害と大量殺戮は歴史的事実なので、どう考えていいのか簡単に論じることができない。


2012年に映画「ハンナ・アーレント」が公開されたので、アーレントのファンの一人として興味津々で観たことがある。

実に美味しそうにたばこを吸う人で、人差し指と中指でたばこをはさみ、フーと口から煙を出すシーンが多かった。大学で講義するときの机にすわって語るシーンといっしょに意外な彼女の側面だった。

それとパートナーはおしゃれで生活感がしない男性でイメージどおりだった。

ハーレントとは違って大学にはいかず、在野で理論武装してきて、物事を受け止めるのに柔軟性がある人物と見えた。


問題はハイデッガーで、ミスキャストではないかと思った。

写真で見ると、もっと精悍なイメージがあったのだが、映画の中では、ちょっとはずすと○平なオジサマのような軽さがあって、首をかしげたくなった。


アーレントとハイデッガーはナチスに協力した哲学者とナチスに追われた女という理解しにくい関係を戦後も築いていたようだ。

アーレントが亡くなったとき、テーブルには夫とハイデッガーの写真が入った額縁が置いてあったという。このあたりやはり「哲学」を専門とする「超知識人」のお二人ということで、ここまで。

今の時代に生きていたら、大事なのは愛国心という集団への愛ではなくて、人々の中で築く友情だといってくれそうだ。

こんな女性哲学者これからも出てくるかな。


ハンナ・アーレントの著作をほんの少しかじったことは、その後の生き方にいい影響を受けたとしみじみ振り返ることができる。


出会えてよかった。



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by far-east2040 | 2016-09-23 12:49 | 生き方・友情……

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『女たちの肖像』は、私が変わっていく過程でそばにあった本だった。

著者は中村輝子さんというジャーナリストで、人文書院から1986年に発行されたもの。
ユニークな創作活動で知られた6人の女性の手軽な入門書のようにわかりやすく書かれた本で、それぞれが「越えてきた」人生に触れることができる。

興味が湧いてもっと詳しく知りたくなったら、それぞれの人物の作品や評伝などを探していく手がかりを与えてくれる本だ。

どういうきっかけでこの本を購入したかは忘れてしまったが、「婦人の友」という雑誌に連載されていたらしいから、多分この雑誌から刺激を受けたのだろう。

この本の小さな書評記事の切り抜きを持っていた人も偶然知っていたので、新聞記事で知った人もいたのだろう。


時代の制約を受けて、順風満帆とはいえない人生をどういうふうに生きてきたかを読み取る作業は、知的興奮をもたらしてくれた。
みんな戦前生まれで、第二次世界大戦が終わった時には、中年と呼ばれる年齢域に達していた女性がほとんどだ。


具体的には
 アイザック・ディネーセン(作家) 1885年~1962年

 ハンナ・アレント(政治哲学者)  1906年~1975年
 ゾラ・ニール・ハーストン(作家) 1891年~1960年
 リリアン・ヘルマン(作家)    1905年~1984年
 ナディン・ゴーディマ(作家)   1923年~2014年
 ジョージア・オキーフ(画家)   1887年~1986年


この本に出会うまで私はリリアン・ヘルマンしかなじみがなかった。

彼女が書いた『ジュリア』『子供の時間』は余韻が残る映画になっていた。

ナディン・ゴーディマは南アフリカのアパルトヘイト(人種隔離政策)撤廃運動を文芸活動で支援してきた白人女性として、アジア図書館にいる頃「短編集」を読んだことがある。

アジア図書館の活動を支援してくれていた大学教員が南アフリカの女性作家の研究者ということで、何回か講演してもらった覚えがある。

アパルトヘイトの撤廃は1994年なので、ちょうど日本での運動の最後の盛り上がり時期にアジア図書館にいたことになるなと振り返って思う。

アジア図書館ではアフリカに関する蔵書も収集していた。

調べてみると、この作家は1991年にノーベル文学賞を受賞している。
そういうこともあってよく覚えている名まえだ。

映画『愛と哀しみの果て』の主人公として知られるアイザック・ディネーセンは、『パペットの晩餐会』と『アフリカの日々』を通してファンになった。

デンマーク語と英語で独特の作品を作り上げてきためずらしい作家だ。

「わたしはアフリカに農園を持っていた」から始まるこの本の独特の雰囲気が好きで、本の断捨離を何回かしてきたがまだ手元に置いている。

ときどき無性にこの本を開いて活字を拾いたくなることがあるのを知っているからだ。


この本で一番興味を持った女性は、ハンナ・アレントというユダヤ系ドイツ人女性で、この女性について書かれたところは繰り返して読んだ。

他者に影響を与えた女性哲学者といえば、ハンナ・アレント、ボーボワール、シモーヌ・ヴェーユぐらいしか思い出せないが、個人的にはハンナ・アレントに一番惹かれる。

3人に共通しているのは、ずば抜けた知性を持ち、むずかしいことを真剣に考えていたことだと思う。

ボーボワールは棲む世界も知的レベルもあまりにも上にいて、こちらに降りてきてもらえないという感じがする。

シモーヌ・ヴェーユも同じく優秀な女性だったが、修道女のように自分に厳しい生き方を追求していて、他者を寄せ付けないところがある。

この二人に比べると、ハンナ・アレントは短期間ではあるが収容所に入っていたこともあり、ぎりぎりのところから生き延びた経験やハイデッガーとの複雑な関係など人間味豊かな女性だと思う。


とにかくこの本を起点にして、アレントの難解な著作の中から「読みやすい本」を探し始めたように記憶している。
ちょっとおおげさにいえば、共感できるアレントのことばが、「人間嫌い」の泥沼から少しずつ這い出す試みをしていた私を一気に救い出してくれたような感じがする。


さて、最近この本の現代のアジアシリーズがほしいなと思っている。

中国人作家ハン・スーイン、ベトナム人弁護士(?)のゴー・バー・タン、日本人作家森崎和江さん、エスペランチスト長谷川テル……。まだこのぐらいしか思いつかないわ。
こういう本はありそうで案外ない。



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by far-east2040 | 2016-09-20 19:37 | 生き方・友情……

須賀敦子さんの作品

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2008年にBS朝日で再放送された「須賀敦子静かなる魂の旅」で初めて知った作家である。
放送予告で興味がわいたのだが、「好きになりそうな人なのに、名前を知らなかった」というのが大きな動機だった。
 
その後もNHKで特集番組があったので、興味深く観た。
こんな日本女性がいたなんて知らなかったので、さっそく図書館でエッセイを借りて読み始めた。
アジア関係の作品を書いていたら、どこかで名前ぐらいは記憶の引き出しに納まっていたと思う。

1929年生まれで1998年に69歳で亡くなったイタリア文学者であり随筆家であった。
 
終戦まもない頃に女子大学を卒業して、イタリア、フランスに留学する女性だから、どれほど恵まれた環境にいた人かと思ったら、父母の結婚生活破綻を経験し、長女としての葛藤を経て成長した女性だとわかった。
それ以降、彼女はカトリック信者として哲学的思索を深めていった。
 
生い立ちを知り一層魅了されてしまった。

エッセイも抑制の効いた文体で、博物館に入ったような静寂な雰囲気が漂っている。
こんなエッセイを書けたら、どんなにいいだろうかと思う。
 
イタリアでカトリック左派と呼ばれるグループの拠点になったような書店で働いた経験が大きかったようである。

その書店には、単に書物を求める人だけではなく、志を同じくする人たちが集まっていて、そこで出会った人や書物を回想する内容が多い。

単なる書店でもないし、図書館でもないし、かといって政治的なアジトのような空間でもないところがユニークで、楽しそうな職場だ。

但し、ビジネスと考えるととても不安定なので、お給料は安かっただろうなと想像できる。


その書店で同僚のイタリア人男性と恋愛して、当時珍しかった国際結婚をしたのだが、夫が早くに亡くなったので、結婚生活は10年もなかった。

豊かな家庭で育った彼女とは違い、彼の方は映画『鉄道員』に出てきそうな鉄道員の社宅で育ったということもあって、この映画はなかなか観れなかったというような叙述があったと思う。

夫が亡くなった後しばらくイタリアですごしていたが、ある日「日本に帰ろう」と急に思いたったところなんかも印象に残っている。
 
『コルシア書店の仲間たち』は久々に一気に読んだ。

なんでもない過去の思い出に生きる人々を淡々と書いているところがよかった。

左翼傾向を持つ人を多く書いているが、闘争的でもなく、宗教的な雰囲気がすることもなく、読み手はとてもリラックスでき、登場人物に対して好感を持って受け入れてしまう。
 
育ちのいいお嬢さんが、ひたすら内面を拠り所にして、別の世界の扉を開けて生きた世界というのだろうか。
全集を手に入れたいとも思った。
 

本棚や机に積まれた本といっしょに写った写真は、かつて自分も本に囲まれていたことを思い出させてくれるので、親近感をもってしまう。

ただ、私の場合は古本だった。
自分から積極的にアプローチして、その本に囲まれた職場を得たところも似ていて共感した。

私は、須賀さんのように周囲に違和感を持ちつつ、賢明に生きた女性が好きだ。
もう一人の自己を意識している女性というのかな。
 
亡くなった後、新聞の書評欄で編集者として彼女に関わった人の紹介記事を読んだ。

見出し「あと少しの時間があれば」でわかるように、61歳で文筆家としてスタートし、病で亡くなるまで10年ほどしか活動できなかった彼女の死を惜しむ内容で、まったく同感であった。


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by far-east2040 | 2016-09-17 12:39 | 生き方・友情……

気高い娼婦たち

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若いころ観た映画や読んだ小説の中に出てきた娼婦たちのことを、思い返してみた。
もう数十年前の記憶なので、内容はあやふやだし、記憶違いも多いかも知れないが……

文芸作品に脇役として出てくる娼婦たちは、当時の上流階級の紳士淑女からも庶民の女たちからも蔑まれてきたが、魂の純粋さ、勇気、凛とした生き方をもつ、心やさしい人物として描かれていることもある。

まずはドストエフスキーの『罪と罰』に登場するソーニャ。

家族の誰かが病気で、幼い弟や妹がいて、その結果家が貧しい。
家族を救うために娼婦をしていた。
自己中心的な哲学に基づいて金貸しのお婆さんを斧で殺した主人公を、改心にみちびいた女性である。

「あなたは罪を犯している」といって自分の小さな十字架をわたす。

苦悶の末、主人公が警察へ出頭するときに、あとから静かに心配しながらついていくシーンが印象に残っている。
確かこのふたりは流刑地シベリアへ行くことになって終わったと思うが? 
どこで出会ってどうなってという展開はもうすっかり記憶から消えているが、小説の中とはいえ、こういう女性がいたことをおぼろげに思い出せることが癒しになる。


続いて、娼婦といえば、この女性が忘れがたい。
モーパッサンの短編『脂肪の塊』の主人公。

当時のフランス社会の縮図と思えるようなメンバーが、たまたま国境を越える乗合馬車に同乗するが、途中吹雪か何かで立ち往生する。

そのうえ、敵側の将校(?)が娼婦の存在に気づき食指が動く。

いろいろあって、ついに娼婦の決断次第で他の乗客の運命が決まるというところまで追い込まれる。

このあたりの構成がうまい。
で、行儀のいい紳士淑女たちは、彼女が持ち込んでいた籠いっぱいの食料で飢えを助けてもらっているのに、「娼婦でしょ」っていう感じで冷たくあしらう。

リベラルな議員も乗っていたが、情けないぐらい何もできない。
彼女は、身を売ることは職業だから何とも思っていないが、敵側に身を売ることはできないと彼女なりの愛国心と誇りを発露する。

モーパッサンは、この作品で当時の紳士淑女の上っ面をはぎ取ったように思える。
この作品好きなんだけれど、あまりにも結末が物悲しくてつらい。
誰か彼女のためにあの続きを書いてあげてほしい。
もう1つ別の短編でも信仰心の篤い娼婦を扱っているはず。

次は『風と共に去りぬ』に出てくる酒場の女主人ベル・ワットリング。

高級娼婦と記憶しているが、そうでないかも知れない。
しかしいずれにせよ似たような社会的偏見にさらされていたはず。

彼女は、あのレット・バトラーの元愛人で、息子を一人生んでいて、手元で育てることができないので預けているとわかるような叙述があったと思う。

やさしい母親でもあった。
彼女が、南北戦争の時代、稼いだお金の一部をメラニーという信頼できる女性に秘かに南軍のために使ってほしいと託すシーンがある。

表立って寄付という行為ができない自分の立場をわきまえて。


ちなみに作者マーガレット・ミッチェルはこの作品の映画化が決まったとき、ワットリングという姓が当時アトランタの町に存在していないことを調べさせた、という裏話を読んだことがある。
存在感があるが、汚れ役ということで、作者の気遣いがわかる。

最後に、小説は読んでいないが『緋文字』にも娼婦が出てくると思う。

映画をさらっと観ただけなのだが、女主人公が姦淫の罪で公で裁かれるのだが、村の娼館を経営する女主人が「村の男はすべてここの客よ」とつぶやくシーンがあって小気味いい。

社会の不正義を見抜く目を持っている。

詳しくは知らないが、『五番町夕霧楼』に出てくる女性もそのような類の娼婦になるかな?


探せば、もっと他の文芸作品にも気高い娼婦が存在するかもしれない。
男主人公の単なる背景でちょっと絡む存在ではなく、人格を持った人間として。
生きていくために仕方がないので身は売るが、自分を成り立たせている根っこのところは売っていない、こういう娼婦は味わいがある。

一方、この対極にいると私が思えるのが、お金のために或いは今ある地位を守るためにまたは自分を守るために、良心や理性を売っている人。
キリストを売ったユダなんかは典型か? 

人生いろいろ。
会ったことがない人はいないんじゃないかな。
どこにでもいる。

目の前でリアルに「売心」するシーンに遭遇したこともある。

こういうときは人間不信に陥る。

そうなりたくないなら、人間は弱いので、背伸びすることを戒めるしかないと思っている。

案外こういう「売心行為」も、表舞台に出ないところで歴史を動かしてきたのではないか、とふと思うときがある。




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by far-east2040 | 2016-09-13 16:45 | 生き方・友情……

沢村貞子さんと左翼活動

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あとにも先にも毎回楽しみに観たNHK朝の連続ドラマは、往年の女優沢村貞子さんの若い日をモデルにした『おていちゃん』だった。
事情があって見逃してしまったら、ちょっと引きずってしまうぐらい熱が入っていた。
共感するものがあったんだと思う。
エッセイもよく読んだ。


実は、これをちょうど観ていた時期に韓国に数週間滞在していたので、しばらく見れなくなることが残念で仕方がなかった思い出がある。

ところが、釜山の日本語がわかる遠縁のお宅を訪ねたときに、テレビの話題になり、釜山では日本のテレビ放送が入って、しかも「おていちゃん」が好きで毎日見ている、といわれてびっくりした。


当時の釜山でのテレビ放送は、時間制限があって昼間はほとんどなかったし、チャンネル数も少なくて、日本と比べるとすごく寂しいものだった。

だから、秘かに日本のテレビ放送を受信していたのかな。

もう遠い記憶になってしまった。


もう私より若い世代で沢村貞子を知っている人はほとんどいないだろう。

このドラマでは銀行の取り付け騒ぎや関東大震災も出てきて、今時期とちょっと重なることに気がついた。

すごい美人というわけではないので、名わき役として存在感を築いた沢村さんが、若い頃左翼活動をしていたことはエッセイでも明らかにしていたし、ドラマの中でもそういうシーンが描かれていた。

1906年(明治41年)生まれで日本女子大を中退前後、「働く人たちがみんな幸せになるための運動」に生きがいを感じて、新築地劇団の研修生になったという。
純粋な動機であった。

1933年(昭和7年)ごろ、治安維持法違反で「雑魚」として逮捕され獄中生活をおくっている。
取り調べの際、特高刑事から素っ裸にされて、どんなことばを浴びせられたかということもさらりと書いていた。
当時こういう取調べは普通だったと理解している。
 
最近新たな視点で脚光を浴びている『蟹工船』の作者である小林多喜二は、1934年(昭和8年)ぐらいに治安維持法違反で特高に逮捕され、殺意をこめた拷問を受けて、無残な身体になって亡くなっている。
これはひどすぎる。

沢村さんは仲間を裏切りたくないというこうとで、口をつぐんでいたが、先輩の裏切りを知って政治運動から一線を引いたということらしい。

で、エッセイの中で左翼活動内部での男と女の関係にちょっと触れていたことが印象に残っている。

詳細は忘れたけれど、彼女のことを一方的に好きになった先輩は、特高刑事から逃げている身だったが、時折彼女と落ち合い食事をする。

隣室には布団が敷かれていて、先輩は自分のペースで彼女を抱く。
沢村さんはわけがわからないまま、こんなものと身を任せたという感じのことが書いてあった。

この「世の中を変える志はあるけれど、金のない男の習い」は時代の変化を受けながらも、ある時期まで「左翼」と呼ばれる組織にはわりとおおっぴらにあったのではないかと思う。
もちろん中にいたことはない私の独断ではあるが、信頼できる方の文章を読んでいるとずれている感じはしない。


もう右や左なんて古臭い発想だ。
明確な線引きもない感じがする。


個人的にはやや右よりの人との接点があまりないので、接触したときはいつのまにか「いいこというんだ。わかるわ」なんて共感点を見出していることが多い。

一方、やや左と思われる人たちは、私のような存在は珍獣として表向きは丁重に扱ってくれるが、関係がくずれると、こちらも期待する向きもあって、どん底にはまる危険性をはらんでいる。

やや左を標榜するいろいろな人を見てきたけれど、見た方も完璧な人間ではないのでここまで。

「おていちゃん」のようにならなくて、結局どんな「運動」にもはまらなかったのは、社交嫌いで人と合わせるのが苦手だったからだと思う。

よく今まで生きてこれたなと思う。


この歳になって、人間として良識、知性、勇気、隣人への善意の提供、弱さの自覚……こういうことを大事にしたいという思いにたどりついている。


さて、沢村さんは出所後、お母さんの「お前のしたことは決して悪いことじゃないよ」の一言に励まされ、「学校出の赤い女優」として生きていくことを決めたという。
これは記憶の納め方をちょっと間違えたら、今でいうトラウマになっていたのではないだろうか。

沢村さんがその後素敵な生き方をしたことは、多数のエッセイで知った。

紆余曲折を越えてきた人には惹かれるものがある。



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by far-east2040 | 2016-09-04 23:00 | 生き方・友情……

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著者はまったく記憶にないかも知れないが、私は小学校中学年ぐらいのかわいい彼女を覚えている。「お兄さんが……」という話も当時ちらっと聞いた。

40年ほど前に先輩に頼まれてほんの短い期間塾講師の替わりをしたことがある。ドリルをさせて答え合わせをするぐらいでいいといわれて軽く引き受けたが、鬼ごっこをしに来てるようなやんちゃな男の子3人の対応に追われる日々だった。そんな中、一人静かにすわってマイペースで作業を進める彼女はまったく手がかからなかった。


「私は私でやりますから、そちらはそちらでやってください」といいはしないけれど、そんなオーラを放っていた。
どんな感じの子だったか? 著者をそのまま小学校中学年にしたような聡明さは当時から持っていた。

偶然手にした本から、いつのまにか表現者になっている彼女に再会した。



                                   2010-08-19 公開

近所の図書館で目に付いて借りてきた。
2009年七つ森書館から発行された本で、著者は梁英姫(ヤン・ヨンヒ)さんという女性で、私より一回り半(?)ほど若い女性。見た目の印象がいい人で、名前は思い出せないが、有名なバレリーナを思い出した。
「東京の朝鮮大学校を卒業後、教師、劇団俳優、ラジオパーソナリティ、アジアを中心としたドキュメンタリー映像作家を経て映画監督に」と経歴が書いてある。
ドキュメンタリー映画「ディア・ピョンヤン」はベルリン国際映画祭アジア最優秀映画賞をとっている。「ディア・ピョンヤン」については、何年か前に新聞で紹介されていたので、ご自分の家族の記録ということは知っていた。

彼女の父親は朝鮮総聯幹部で、その関係で三人の兄は北朝鮮に帰還して、そのうちの一人は心を病みながら亡くなったという。以上の経歴で、同じコリアンをルーツにするとはいえ、私とは環境が大きく違う。
 
この本は佐高信との対談という形で両親や兄たちのことをまとめられていて、聡明で明るい性格を持つ人柄が読み取れる一方で、北朝鮮にいる家族のことを思ってかなりの苦悩を持っていただろうことは想像される。

北朝鮮、ピョンヤンを知っている人がここまで表現できることが珍しいし、日本のメディアから流れる一方的な映像(マスゲームや女性アナウンサーの姿)からは知ることができないリアルな生活がわかり興味深かった。
その結果、一時期多くの在日朝鮮人の心をつかんだ朝鮮総聯の組織のあり方や北朝鮮の国のあり方に多いに疑問を生じさせてくれる。当然ことながら彼女は北朝鮮への入国は拒否されているようだ。

私はまったく朝鮮総聯や北朝鮮の国家体制を受け付けられない体質だが、朝鮮総聯のおかげで自分自身を卑下することなく生きていく勇気を得たり、北朝鮮が大国に依存せず自立的に社会主義国家を建設しているということを誇りにしていた若者を傍で見て知っている。日本社会で、彼らは朝鮮総聯サイドに繋がることで、それ以前よりもはるかに誇り高い生き方を当時体得していたのも事実。この点に関してだけ考えたら、朝鮮総聯を非難することはできないと思っている。

思えば、朝鮮総聯も北朝鮮の神話も、真実を知る一歩手前にいる頃が一番美しく存在していたのではないだろうか。



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by far-east2040 | 2016-07-10 09:52 | 生き方・友情……