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自然の美に対する深い感情をあらわしながら、朱将軍は、東固についても、まえに井岡山についてかたったときと同じようにくわしく描写した。
この山は、江西省を南北にのびる、森におおわれた山脈の一部である。
朱徳の話によると、かなり高い山岳地帯ではあるが、井岡山のような要害ではない。
4つの台地をこえて、せまい山道が通じている。
どちら側にも、えぞ松やもみの森があり、花をつけた竹や潅木の林がある。
春と夏には、あたり一面、おどろくほどたくさんの野花におおわれる。
頂上の近くは、広くて、肥沃な台地になっていて、小さな村々が点在し、その中心あたりに市のたつ東固の町がある。
この台地に流れ込む、肥沃な谷には、さらにほかの小さな村々がある。


東固の約25マイル南に、城壁をめぐらした大きな町、興国がある。
この町は、2、3週間後には紅軍の手中におち、東固といっしょになって、「東固―興国地方ソビエト区」を結成した。


東固にはすでに小さな病院が建てられていたが、紅軍の病人や負傷者、疲労しきった人たちまで収容できないので、農家の家に招かれて世話になった。


この高い台地で紅軍は休養をとり、入浴もした。

みな、ぼろぼろの着物に、つぎはぎをあてたり、煮沸して、みなを悩ませてきたしらみを駆除したりした。
傷ついた足の手当をし、自分の手で丈夫な縄でつくった底と、いろんな色の布の甲でできた、わらじを作ったりした。

しかし、1日も教育を休んだことはなかった。
毎朝、どの中隊も教練をやったり演習したりしているのが見られた。

1日2食の最初の食事がすむと、兵士たちは、それぞれ集合して、軍事指導者や政治指導者の講義をきくか、あるいは討論会に参加した。


読み書きのような、一般教育課程はまだ、その後おこなわれたように系統的には教えられていなかったが、土地革命のあけぼのともいうべきこの時期においてさえ、指揮官たちは、できるだけ時間をつくって、読み書きのできないものを教えようと努力していた。

紙や鉛筆はぜいたくの極みであった。
だが、みなは、輪になって地面に腰をおろし、小さな棒切れで土の上に、漢字や数字を書いたのである。



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# by far-east2040 | 2018-10-19 09:00 | 第6巻「土地革命の開始」改編

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「農民工作の準備をさせるために」、勇敢な扇動者からなるいくつかの小部隊を先行させたうえで、紅軍は、数日後、江西省中央部の城壁をめぐらした都市、寧都を占領した。

地方守備隊と地主どもは、紅軍が近づくと、たちまち逃げだしてしまったが、商工会は、大昔からの慣習どおり、国民党の旗を引きおろして、赤旗をかかげ、紅軍にむかって、5千ドルの金と市の鍵をさしだした。


朱徳と毛沢東は、5千ドルはうけとったが、商工会の宴会への招待はことわった。

紅軍は、地主から食糧やその他の財産をすべて没収し、必要分以外は市の貧民に分配し、全市民の大衆集会をひらいた。

紅軍は、占領した町や市ではどこでもしたように、ここでも牢獄の扉をひらき、犯罪の内容はとわないで、すべての囚人を釈放した。

その理由について、朱将軍は、「犯罪は、階級の問題である」と言明した。
囚人の多くは政治犯で、手枷足枷をはめられ、ひどい拷問をうけて、一生なおらない不具者にされていた。
そのほかは食べ物や服を盗んだいう、個人財産に対するささいな犯罪で投獄された貧乏人であった。


寧都3日間とどまったのち、紅軍は、負傷者や病人や疲労したものを集め、地主から米や補給物資を没収したうえで、東固山地の基地に向かって西へと行軍を開始した。
そこはすでに、紅軍を歓迎する準備ができていたのである。


この東固への行軍は、まるで凱旋行進であった。

農民たちがとびだしてきて、負傷者や補給物資の運搬を手伝ってくれた。

東固基地にある竜岡の町は、農民運動の強力な中心地で、みなが紅軍を歓迎に出てきて、それぞれの家庭で紅軍を歓待したいと申し出てくれた。

ここで朱徳と毛沢東は、李文林にであった。
李は、黄埔軍官学校の出身で、一個中隊のゲリラをひきいて、紅軍を山に案内するためにやってきたのであった。



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# by far-east2040 | 2018-10-18 09:00 | 第6巻「土地革命の開始」改編

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いつものように、朱将軍は、戦闘の模様を非常に細かいところまで気をつかって、説明した。
ものすごい激戦だったが、朱将軍の言葉でいえば、「実にきわめて単純」であった。

その夜のうちに、林彪は、一個連隊をひきいて、10マイルを行軍し、戦闘がはじまった夜明け前には、敵の一個縦隊の真後ろにまわっていた。

敵は、あらゆる武器弾薬をもっていたが、紅軍は、各自、20発くらいの弾薬しかもっていなかった。
敵は、四方から、あらゆる武器をつかって攻撃してきたので、この弾薬は、すぐ使いつくしてしまった。
行軍の兵士は、銃をつかったり、折った木の枝を、棍棒がわりにつかったりしてたたかった。
太陽が、頭の上にきたころには、紅軍は、敵の師団を完全にうちやぶっていた。


捕虜は約1千人ぐらいしかいなかったが、その中から百人の貧農出身者を選びだした。
朱将軍はこの百人に向かって、紅軍に加わり、紅軍と辛苦をともにし、紅軍がついに勝利をおさめる日まで闘いつづけてくれとうったえた。

残りの捕虜は釈放された。
理由は、「かれらが、むかしながらの傭兵で、アヘンの常飲者であり、そんな人間はわれわれには不要だった」からである。


大柏地の戦闘は、土地革命において、また、敵の士気に与えた影響において、ひとつの転換点であった。

それからあとは、敵軍が紅軍を追撃してくる場合は、遠くはなれて、近よらなかった。
さらに福建の諸部隊は、こんなことは一切、自分たちの仕事ではないといって、福建省内へ引きあげてしまった。



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# by far-east2040 | 2018-10-17 09:00 | 第6巻「土地革命の開始」改編

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中国の旧暦の正月がきた。
戸ごとに、正月を祝う赤い紙がきらめき、料理店や、金持ちの家からは、音楽がひびいていた。

南江西の瑞金という小さな県城では、ちょうど、江西省軍一個連隊が帰ってきて、「朱毛匪」の大部分を皆殺しにして、敗残兵は福建省境の向こうに追っぱらったと、その状況を報告していた。

この大手柄の褒美として、街の要人たちは、連隊のために正月の大宴会をひらいて招いた。

酒杯のひびき、料理の香にまざって、哄笑がわきあがっていた。
建物の中にしつらえられた、長いテーブルの上には、赤いろうそくがいくつもかがやいていた。
連隊中がすっかり安心しきっていたので、歩哨さえ、一人も任務についていなかった。


テーブルの上にご馳走がならべられ、兵士たちが席について、箸をとりあげたその瞬間、なにか、弾丸がとぶようなヒュッという音がした。

たちまち、一座は、しんとして、深い沈黙におちいった。

彼らが、驚きのあまり、口をあんぐりとあけて、呆然と見つめているなかを、森の狼のように、やせた「朱毛匪」が、まるで地中からわいてきたようにあらわれ、銃をかまえて、部屋の中に長い列を作って立ちならんだ。

しゃがれ声の号令がかけられると、彼らは、ひとりの人間のようにいっせいに立ちあがり、両手を頭上高くさしあげて、闇の中に出ていった。

外には、ぼろをきた、別の幽霊が待っていて、大きな石造りの寺院に彼らをとじこめ、見張りに哨兵をたてた。


「われわれは、やつらの正月の御馳走を、すっかりたいらげた」と朱将軍は大笑いした。

「翌朝、われわれは、北東に進み、大柏地の山地へはいっていった。
その後から、約一個師団の敵の部隊が、二つの方向から、われわれにせまっていた。
しかし、われわれは、できるだけ早く歩いて、余裕をつくり、会議をひらいて、追撃者を今回限りで、徹底的に追いはらおうと決議した。

わが部隊は、戦闘計画を討議して、あらゆる点をはっきりさせた。
それから、大衆集会をひらいて、敵を皆殺しにするか、そうでなかればたたかって死のうと、拳をあげて、誓った」



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# by far-east2040 | 2018-10-16 09:00 | 第6巻「土地革命の開始」改編

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村に近づくと、紅軍はまず一人か二人の兵士を先行させた。
そこで農民たちは、外に出てきて、紅軍のために米を集め、負傷者や疲労した人を引きとって、かくまってくれた。

あとに残って農民の世話になるものは、みな、回復してから、農民を組織し、訓練することができるように、銃と数発の弾薬をあたえられた。


「紅軍の兵士を訓練するさいのわれわれの方針は、たとえたった一人だけしか生き残らなかったとしても、その一人が人民を蜂起させ、指導することができるようにすることだった」と朱将軍はかたった。

「あの恐怖にみちた時代には、数かぎりない戦闘をまじえたが、あるときはたった一回の戦闘で2百人もの同志を失ったこともあった。
またあるときには、20人の兵士と1人の黄埔軍官学校出身者が敵の捕虜になったことがあった。
この21人は、そのころ江西省南部のある県を守っていた一個連隊の敵軍に加わった。
2、3ヵ月後、彼らは、連隊全員を指導して、反乱をおこし、この県をゲリラ基地にかえてしまった。
その後、ここは、われわれのもっとも強力なソビエト地区のひとつになった」


さらにほかの戦闘では、朱徳の妻呉玉蘭も、行方不明者のひとりになった。

彼女は、拷問されてから、首を切られた。
その後、彼女の首は、郷里の
長沙の街に送られた。

市の長老たちは、その首を棒の上に突きたてて、大通りのさらしものにし、彼女と同じような考えをもつすべてのものへの見せしめにした。






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# by far-east2040 | 2018-10-15 09:00 | 第6巻「土地革命の開始」改編