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2019年 05月 26日 ( 1 )

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「閻錫山が、八路軍を山西省によび入れたのは、そうすることで日本軍の進入をずっと抑えていけると思っていたからであり、また八路軍も彼と同様かそれ以上に、南京に対してあいまいな立場を続けるだろうし、日本が潰滅した後の善後策としては、閻が分けてやるだけのもので満足するだろうと考えたからだった。ところが今では、閻は日本をご主人に持つ立場になっており、彼としては、できるだけその立場を利用しなければならない。八路軍は彼にとってきわめて厄介なものになってきた。

当地の多くのひとびとは、いずれわかるだろうが彼の今回の漢口旅行は日本のための調停だと考えているが、日本は、中央政府が八路軍との関係を断ち、華北で占領した権益の大部分や上海海関などを日本に譲ることを認めるならば、中央政府に対して寛大な取り扱いをすると約束している。……これに関連して面白いことは、日本軍が太谷を占領したとき、町中の家が掠奪されたのに孔祥煕の生家だけは『経済提携』一味が封印して、日本軍部隊にも手を触れさせなかったことだ……」


ジャッド博士の手紙には1ヵ所まちがいがある。彼の信者たちは「月給10元」の仕事のために、彼をすてたのではなかった。彼らが移ったのは月に50セント足らず、ときにはそれさえもないような仕事だった。この当時の朱徳の月給は3元だが、それさえもらっていなかった。というのは、中央政府から出る三個師団分の金を、八路軍の七個師団全部で分けるからだった。八路軍将校の給料は、国民党将校と同じ計算だったし、兵隊も同様だった。しかしその金を全部まとめておいて、全員の食糧や衣料をまかなっていた。ポケットに10セント持っているものは、金持ちといえる状態だった。


当時アメリカ海兵隊の大尉だったエヴァンス・F・カールソンは、こうした状況を見て、ただただ感嘆し、そして朱徳将軍に対する畏敬の念に打たれた。彼は、何年も前から「匪賊」朱徳のことを聞いていたが、こうして直接本人に会い、八路軍の行動や教育制度を研究した現在、感激して私にいった。


「これまでは、組合協会牧師だった私の父が、私の知る限り唯一の実践的クリスチャンでした。だが朱徳は、第二の実践的クリスチャンです」


「朱徳はクリスチャンではありません」と私が反論した。


「私がいうのは、賛美歌を歌ったり、恩寵をたたえたりする意味でクリスチャンといってるのではない」カールソンは答えた。「私がいうのは、貧しい者や圧迫された者を解放し保護するために、一身をささげる人、自分に取りこむことをしないで真に兄弟愛を実践する人のことです」


カールソンの発言に続いていろいろな議論が出たが、結局結論に達しないまま終わった。というのは、1937年が暮れて、山西省の全面的占領と八路軍の掃蕩をめざす日本軍の新たな攻勢作戦がはじまったからだった。カールソンは、八路軍といっしょに五台山に去り、私は八路軍や西北の遊撃隊の医療品、衣料、資金などを集めるため漢口に向かった。

そして朱将軍は、国民党軍を援助して日本軍の進撃を阻止するため、二個連隊と新兵の一隊をひきいて東の太行山脈中に出動した。



by far-east2040 | 2019-05-26 09:00 | 第10巻「歴史との出あい」改編