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2019年 03月 15日 ( 1 )

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 日がたつにつれ、行軍の途上や、先鋒隊がつくった避難所の中で、ますます多くの死体を見かけた。疲労困憊した人びとは残されたわずかの力をかき集めようとして、避難所で横になるが、後続の人びとは彼らが死んでいるのを見かけることになった。どの死者の頭の近くにも、炒り麦が少しずつ置かれていた。――同志たちが自分自身も必要な食糧を供養して行ったのだ。火は燃えつくして、冷えた灰だけが残っていた。


 ときには、すぐ後ろの人の声も聞こえないような猛烈な雨に合うことがあった。雨の後には、激しい凍るような風が吹きまくった。太陽はほんのちょっとのぞくことがあるが、すぐのみこまれて、ふたたび篠つくような雨になった。


 人びとは避難所につくと、中につめかけて火をつくろうとしたが、たいていの場合木が湿っていてつかなかった。


 6日目、はるか遠くに、低い丘陵のかすかな輪郭が見えて、あちこちから煙が立ちのぼっていた。ひとびとの喜びは大変なものだった。次に道の上で石を見つけた人びとは、それを拾いあげて歓声をあげた。8日目にはふたたび煙が見えた。そして翌日の午後、遠くに数本の木と低い家があらわれた。人びとは砂漠の中で餓えた人間のように、まっしぐらに進んで行った。だがこの時ひとつの命令が伝えられた。


 「左方に転身して露営せよ」


 彼らは黙々と命令にしたがった。そして固い本当の土地に出ると、赤い金色のいちごが葡萄の房のようについている茂みを見つけて、それを食べた。何日も湯で溶いた炒り麦だけを食べてきたあとだけに、この酸っぱいいちごも、頬っぺたが落ちるほどおいしかった。


 翌日の夕方、住民の逃げた部族民の部落に入った。家はすべてヤクの糞でつくられていて、かなり火が着きやすい状態だったので、特別に防災巡察を実施した。いくつかの家は、部屋が3040もある巨大な建物だった。その頃までには軍の食糧は食いつくして、人びとは畑の未熟な小麦、草、野生の豆、いちごなど何でも見つけ次第に食べはじめていた。金持ちの部族のあるものは「漢人」から逃げていたが、その家には、秘密の倉庫があった。それは大きな建物の壁の中に設けて塗り込んであった。紅軍はそれを発見して壁をこわし、食糧を分配した。あるものは牛の皮を24時間煮つめて食い、あるものは大きな皮の長靴を煮出ししてスープにして飲んだ。


 金持ちのファン族の家には特別な仏間があって、お経や供え物――くるみ、なつめ、米、乳酪がおいてあり、祭壇には、緑や赤に塗った仏たちや動物の小さな像がかざってあった。12人からなる紅軍の一分隊が、軍が付近一帯の食糧収集にあたっていた何日間か、そのような仏間に泊まっていた。


 ある日の夕方、12人の中のひとりが帰ってきて、祭壇の小さな像がいくつかなくなっているのに気がついた。彼がそのわけをたずねると、同志の一人が脂の浮いている煮立った麦粥の碗をくれた。気が遠くなるほどうまそうな匂いがした。同志が像の塗料を剥いで見せた――と、その像は小麦と脂で固めたものだった。


 「ぼくたちは利己主義者になって、このことを秘密にした」と彼はいった。「食事のたびにいくつかの像の塗料を落として、唯一の軍給与であったひと握りの小麦といっしょに煮た。飢えのため精神が堕落してしまい、ひそかにほかの家の仏壇をねらったりしたものだ。だが、ある日二人の餓えた同志に御馳走したことから、ぼくたちの秘密がばれて、その日からみじめにもわれわれの生活状態はがた落ちしてしまった」



by far-east2040 | 2019-03-15 09:00 | 第9巻「長征」改編