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       『抗日解放の中国』より借用

 朱将軍は貴州会戦の話をつづけた。4月までに、敵軍は、貴州の北部、東部、南部に集結した。雲南軍も南部に入ってきて、雲南省に通じる西の方向だけがあいていた。このような敵の大軍を振りはらうことは不可能なので、紅軍は5月1日、急に行動をおこし、朱将軍が以前からよく知っている雲南省北部の山岳地帯を通って、西に向かうことになった。主力が敵の爆撃機にさまたげられずに四川―雲南省境を奔流する金沙江を渡れるようにするため、かつ敵爆撃機の目をそらすため、林彪は一個師団をひきいて省都雲南府をめざす陽動作戦を展開して、敵の軍隊や爆撃機をその方に引きつけた。


 こうして林彪の師団が雲南府街道をさわがしているあいだに、野戦参謀長の劉伯承は前衛部隊をひきいて、北部雲南を一直線に強行軍して、5月4日夜、絞平渡の渡船場についた。あっけにとられる四川守備兵を武装解除し、大型の舟7隻、武器、弾薬、食糧を獲得した。このとき蒋介石の戦闘計画と命令の全文も手に入れた。ほかの部隊もこれに続いて無事に江をわたった。


 林彪師団は雲南府街道で、貴州に向かう敵の輸送隊をとらえた。この部隊が雲南府の城門の見えるところまで迫ると、貴州からここに移っていた蒋介石夫妻は、国民党要人らといっしょに、あわてて逃げ去った。林彪師団は、ここで進路を北に転じ、3日後に絞平渡で金沙江をわたり、北岸で舟を破壊して、ロロの土地の荒涼たる山林に姿を消した。その後3週間、まったく紅軍の消息はわからなくなった。


 この間、紅軍はロロ族の土地の山や森をぬけ、大渡河の激流を目指して北に進んでいた。一方蒋介石は、四川省重慶に飛んで、西の方の軍閥の軍隊に「石達開の太平軍と同じように、紅軍を大渡河に破って歴史を再現せよ」と命令していた。


 朱将軍は蒋介石の命令をあざ笑っていった。「われわれはマルクスの『歴史上の事柄や人物は、いわば2回起こる――最初は悲劇として、2度目は茶番として』という言葉を再現した」蒋介石は重慶で何ヵ月も待ちわびたが、歴史はついに再現しなかった。


by far-east2040 | 2019-03-15 09:00 | 第9巻「長征」改編