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2018年 11月 29日 ( 1 )

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 土地の再分配をするまえに、毛沢東は数組の政治工作員を派遣して、土地事情を調査させた。これは、この地方でおこなわれた最初の調査であった。この調査の結果、大荘田や、寺廟、祠堂をふくめた土地の70%が、人口の1ないし2%にすぎない地主に所有されているか、あるいはその支配下にあることが明らかになった。残りの30%の土地うち、約半分は富農の所有であり、その残りが中貧農の土地であった。


 調査で、農民の70%が貧農で、20%が中農、10%が富農であることが明かになった。富農は、自分の土地を所有し耕作しているが、同時に労働者をやとっており、地主と同じように金貸しをやってはいるが、小規模にやっているものだ。中農は、自分の土地をもち、みずから耕し、労働者をやとわず、金貸しもやっていないものだ。貧農とは小作人で、もっともましな場合でも、ごく零細な土地をもっているにすぎないものだ。


 この調査を目安にして、土地を持たない農民や農業労働者のあいだに、土地の再分配がおこなわれた。自分のもっている土地だけではせますぎて家族をやしなえない中農も、分配にあずかった。


 ソビエトの文化部は寺院を開放して、貧しい子どもたちのための小学校にした。夜になって子どもたちが帰ってゆくと、こんどは大人の文盲がやってきた。寺院はまた、大衆組織者の訓練場所や、紅軍の大衆組織の司令部につかわれた。先生もすくなく、教科書はほとんどなく、紙もわずかしかなく、黒板さえなかった。紅軍は、その年の7月、湖南省の長沙を占領し、10月には江西省の吉安を占領した。そのさい、国民党がつかっていた印刷機を没収して、農村にもってきた。そのときはじめて、大衆教育のための入門書や小型の新聞やパンフレットを印刷することができた。最初の大衆向けパンフレットは、『農民のはなし』『労働者のはなし』『兵士のはなし』『婦人のはなし』という素朴なシリーズだった。



by far-east2040 | 2018-11-29 09:00 | 第7巻「上杭の歌」改編