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朱将軍は康克清を愛してもいたし、誇りにもしていた。
彼女のことを、「紅軍のなかで成長し、教育された娘、つまり、紅軍がつくりあげた人間の典型」だといっていた。
紅軍に加わったそのときから勉強をはじめ、党員になり、党から与えられた仕事をはたしてきた。
「長征」に加わり、大平原や数多くの河や雪におおわれた中国の山々をのりこえてきた。

筆者がはじめて会った1937年には、彼女はまじめでよく訓練された、勤勉な古参兵であった。

彼女が朱徳のことを話すときは、まるで自分とは関係ない他人のことのような話し方をした。
彼女の分析はこうである――

おそらく朱徳のもっとも大きな特質は、じつに強固な忠誠心と人間的誠実さ、それに個人的な政治的野心をまったくもっていないことである。
だからこそ、党が軍を指導するという、軍に対する党組織の権威に一貫してしたがうことができたのである。

その上、おおむねいつも親切で、心のおだやかな人であるし、兵隊たちを愛し、逆に兵隊たちからも慕われている。


そうです、あの人は、軍事や政治の本を手に入れることができたとき、実によく勉強する学徒になります、と彼女は質問にこたえた。
それに、新聞や報告書は丹念に読み、かならず傍線を書き込む。

朱徳は、「抗大」で受け持っている講義に対しては、いつもとても注意深く準備をしている。
それから、彼女自身が生徒の一人としてよく知っていることだが、彼はとても厳格な先生である。
兵隊や一般の人が参加する大衆集会では、彼はいつもやさしい言葉をつかう。
そして、みなが理解できないと、たびたびくり返して説明する。
彼がもっているユーモアのセンスは、毛沢東ほど痛烈で辛辣なものではない。


朱将軍も康克清も、ふたりの年齢がかなりはなれていることはすこしも問題にしていないようであった。

しかも、それはけっして見せかけだけではなかった。

なにしろ、彼は歳はたしか51歳(1937年)になっていても、身体は頑強で、元気旺盛であり、力に満ちあふれた男ざかりだった。
ふたりはとても釣り合いのとれた夫婦だった。

ふたりとも農民の出身であり、彼らに生命を与えた土のように強くかつ自然なたくましさをもっている。

そして、外見は素朴だが、鋭敏な知性は外見から受ける印象とまったく逆である。

明らかに、彼女は彼からとても多くのものを学びとっているし、かつ彼の指導にしたがってはいるが、同時に彼女は、新しい革命的中国婦人と同じようにしっかりした独立性ももっていた。

42歳の歳になってはじめて、彼は、一生の伴侶、いつも彼とともに歩むことができ、彼の生活のあらゆる面の苦楽をともに分けあうことができる婦人を見いだした。
たがいにどのように思いあっているか、ということについては、どちらも語らなかった。

ぴったりつながっている夫婦がそうであるように、彼らは、たがいに普通のことととらえていたのだ。
そもそも中国では、結婚とは何も時別なことではないのである。



by far-east2040 | 2018-11-26 09:00 | 第7巻「上杭の歌」改編