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2018年 11月 25日 ( 1 )

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 1930年の6月に入ったころ、朱徳は、福建省の西部山地にある城市汀州で、重要会議をひらくために、毛沢東やその他の党指導者たちが、江西省から山を越えてやって来るのを待っていた。それまでの5ヵ月間というもの、彼の部隊はわずか2,3日ではあるが、休養をとったのだが、朱徳は一日も休むひまがなかった。この5ヵ月のあいだ、彼は部隊といっしょに徒歩で行軍しまわっていたのである。44歳にもなっているのに、そのやせた身体は鋼鉄のように頑強で、一日4時間かそれ以下の睡眠でやってゆくことができた。


 ちょうどそこへ、上海にある共産党中央委員会からの使者が汀州に到着した。上海では、国民党が支配しているその他の都市と同じように、すべての共産党員やその他の革命家にたいして、間断なく公然たる弾圧がつづけられていた。この使者は、紅軍に2つの決定つまり指令をもってきた。2つとも、共産党組織部長であり、当時もっとも有力な政治局員であった李立三が署名したものだった。


 2つの指令の第一は、紅軍の再編成についての全面的計画だった。それによると、朱徳と毛沢東の軍だけでなく、中国各地に散在する全紅軍は単一の中央集権化された指揮におかれ、朱徳が総司令に、毛沢東が政治委員、すなわち最高の党代表になることになっていた。第二の文書は、朱毛軍ならびに各地の紅軍にたいする指令で、農村地帯をはなれ、大工業都市を占拠せよ、と命じたものだった。「大革命」のときと同じように、大都市の工業労働者をゼネストに立ちあがらせようという。


 この全国にわたって適用される、新しい戦略方針は、肉体以外に売るべき財産をもたないプロレタリアートだけが、土地革命と民族革命を指導して、急速な勝利をみちびくことができるという理論にもとづいて、革命運動の比重の中心を農村から工業地帯にうつすことを要求していた。



by far-east2040 | 2018-11-25 09:00 | 第7巻「上杭の歌」改編