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朱将軍の新戦略にたいする態度は、つぎの言葉のうちにあらわれている。


「毛沢東と私は、この計画ぜんたいに対して深い疑念をもっていた。
しかし、われわれは、この数年間奥地に孤立しており、国内や国際情勢についてわれわれがもっている知識ははなはだ不完全であった。
したがって、われわれとしては、中央委員会がおくってきたような情勢分析を承認せざるをえなかった。
われわれは、資本主義の大恐慌のことも知っていたし、中国の国内情勢が、1911年に清朝が打倒されたときよりも、さらに悪化しているということも一般的に知っていた。
われわれとしては、わが国が全国的な動乱の前夜にあるとのべている、中央委員会の分析を承認しなければならなかった。


「それにもかかわらず、われわれの軍も、われわれの知っているかぎりではほかの紅軍も、まだきわめて弱体で、貧弱な武装しかしていなかった。
たとえ、2、3の工業都市を占領することに成功したとしても、工業労働者の援助だけでこれらの都市を維持できるかどうか、はなはだ疑問であった。
反革命勢力は、数のうえではるかに優勢だったし、また比較にならないほど優秀な装備をもっていた。
またわれわれは、国民党独裁政権を支持する帝国主義列強がこの独裁政権を守るために、われわれに対して積極的に干渉してくるだろうということを、前にもまして確信していた。
なるほど、蒋介石は馮玉祥将軍と戦争していたけれども、彼がわれわれに対して大攻勢を計画しており、しかも、きわめて近い将来、それをはじめるだろうということも確信していた。


「毛沢東と私をのぞいて、李立三路線に反対するものはほとんどいなかった。
われわれは、これを承認するよりほか、どうしようもなかった。
そこで、6月19日に、いまや2万人の兵力になっていた、わが軍の再編成を完了し、われわれは最初に革命にたいする忠誠の宣誓をおこなった。
そののち紅軍各部隊は、8月1日の1927年の南昌蜂起記念日に忠誠の宣誓をおこなった」



by far-east2040 | 2018-11-23 09:00 | 第7巻「上杭の歌」改編