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1929年の華南の早春、東固台地に集結していたこの小さな紅軍は、農民たちから「貧乏人の軍隊」とよばれていたが、事実ほとんど軍隊とは思えないような格好をしていた。

しかし、この軍隊こそ、20年ののち、全中国に広く名を知られ、世界をふるい動かした、偉大な人民解放軍の萌芽だったのである。


東固地方のゲリラ部隊を再編成して、軍の隊列に編入してから、紅軍の兵力はほぼ4千人前後になった。

このうち3千人は、この山地のかくれ家に着いてわずかな休養をとってからちょうど8日目に、ふたたび作戦に出かけていった。

そのほかのものは山地に残って、畑を耕し、東固要塞を守る任務についたのだが、このなかの3百人は、入院治療中のものや、まだ健康を回復していないために戦闘に参加できない朱毛軍の古参兵だった。


作戦に出た3千人のうち、なんらかの近代的兵器をもっていたものは半分たらずで、そのほかは槍で武装していたにすぎなかった。

ごく少数のものは、むかしの軍服のなれの果てというようなものを着ていたが、残りのものは、つぎはぎだらけのだぶだぶのズボンに、短い上衣、わらじに、へんてこな形をした種々様々な帽子という、極貧の中国人のいでたちだった。


みなやせこけて、飢えていて、多くは15歳くらいから20歳前後の青年で、手は大きくて丈夫で、足の裏は皮があつく、かたくなっていた。

彼らにとって人生とは、労苦と窮乏、不安と抑圧の連続以外のなにものでもなかった。

たいていのものが文盲だった。

だれもかれも、長い、ソーセージのような形をした、米を入れた袋を、肩からぐるりとかけて、反対側の腰のところで結んでいた。

いまはこの袋には、2、3日分の米がたっぷり入っていたが、それからあとは、地主の倉庫から補給するか、敵の補給部隊からうばいとって満たす必要があった。


彼らの第二の装備品目は、実包をいれる長い布製のベルトで、両肩から前と後ろへ十文字にかけて、腰の周りまでとどいていた。

小銃を持っているもののベルトには、それぞれ、数発の弾薬が入っていたが、槍しかもっていないもののベルトは、空だった。

出発前の最後の査問をおこなったとき、朱徳は、槍をもっている兵士たちにむかって、こういった……


「諸君もすぐに、みな小銃をもてるようになるし、諸君の弾薬帯もすぐいっぱいになるだろう」



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by far-east2040 | 2018-11-15 09:00 | 第7巻「上杭の歌」改編