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8月末にちかいころ、南江西の町、に近づいたとき、ついに朱徳の先鋒隊は、国民党軍二個師団の哨戒地帯に入った。

この国民党軍は、そこからさらに南へ30マイルほどの距離にある会昌に本部をおいていた。

会昌との接触地点から、「鉄軍」は、四日四晩の戦闘にはいった。

これは、土地革命をはじめてから最初の戦闘であり、かつ激戦であった。

勝利をおさめはしたが、戦闘がおわって点呼をおこない、死傷者の数を調べてみると、数百人の死者と約千人の負傷者という犠牲者をだしていることがわかった。
朱徳の先鋒隊は3百人をうしなった。


こんなに多くの負傷者をかかえては、最初の計画どおり、高い山脈を行軍することはとうていできないので、「鉄軍」は真東に方向を変え、福建省西部の山地にある、城壁にかこまれた市、汀州へ向かった。

大革命時代に有名になった汀州の革命派は、負傷者を看護し、かくまってくれると期待することができた。
彼らの中に、クリスチャンの一家があり、その家の何人かは医師としての教育を受けていたし、息子たちの一人
ネルソン・フー博士は、汀州にある英国バプテスト病院の医師をつとめていた。

朱将軍の声の調子は、彼が話してゆく物語に応じて、たえず変わった。
いまはやさしくなり、まるで奇跡に感動したかのようであった。


「ネルソン・フー博士とあの外国病院の英国人の医師たちは、わが軍の負傷者の手当てをしてくれた! 
重傷者は病院にいれられ、重症でないものは民家に収容された。
だが軽傷者は、われわれと行動をともにした」


ついに「鉄軍」は広東省の境まで南へ数マイルの地域に達した。

広東の東江地方出身の農民指導者、彭湃、この地方についてはすみからすみまで知りぬいていた。

この彭湃という男は、1926年の終わり、数百の戦闘的農民をひきつれて、内陸を北上し、当時漢口にあった「鉄軍」に参加した人物のことである。

江西省南部の戦闘の後、朱徳はみずから一個連隊の指揮をとり、前衛部隊に、彭湃と彼の農民兵をあてた。

これらの農民たちは、四方にちらばって、敵軍に関する情報をあつめたり、わが部隊のために食糧を買い、宿舎の用意をした。



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by far-east2040 | 2018-10-14 09:00 | 第6巻「土地革命の開始」改編