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             建国後の簫克(Wikiより借用)



夕やみがおとずれたころ、二個中隊の主な指揮官たちは、宜章の支配者たちと、宴会で席をならべていた。
彼らが食事をし、最上の酒で乾杯をかわしていたとき、二個中隊の兵力はびっくり仰天した民団を包囲していた。
民団の処理をおわった二個中隊は宴会場を包囲した。
中隊の指揮官たちは、立ちあがって、主人の方に向かって、こう挨拶したーー


「紳士諸君、あなた方を逮捕します! 
静かに行ってください、わが軍は、現在、宜章を占領しました」


この部隊につづいて、朱将軍も市へはいった。
翌朝、宜章の城壁の上には、広東コミューンの赤旗がひるがえっていた。


「その時いらい、われわれは、この旗を使った」と朱将軍は話した。

「その旗は、赤地の中央にー労働者と農民の支配のシンボルー白い星と槌と鎌とが描かれていた。

あくる朝、民衆の大集会がひらかれ、それまで弾圧されていた人民の諸組織の代表者で革命委員会が結成された。
1928年1月1日には、湖南省で最初の
工農委員会、すなわちソビエトを組織した。


「ソビエトは、武装兵力、財政、教育、裁判、ならびに、労働者農民と婦人問題を処理する機関をつくった。
8時間労働制が宣言され、賃金はひきあげられ、失業救済計画がたてられた。

地主、軍閥、役人の財産は没収され、地主の土地は、まったく補償なしで没収すると宣告された。

借金は棒引きにされ、高利は犯罪行為だと宣言された。
司法部は、逮捕した反動どもを大衆裁判にかけ、人民にたいして重罪をおかしたものとして、有罪の宣告をうけたものを射殺した。
軽犯者は罰金を科されて釈放された。


「私は、わが軍を二個連隊からなる師団に改編した。

第一連隊は「鉄軍」の古参兵からなり、第二連隊は、これまでに参加していた農民自衛隊と、新たに編成された全部で約千人の宜章農民自衛隊で結成された。

新しい義勇兵がぞくぞく参加してきて、まもなく、第二連隊の兵力は約2倍になった。

しかし、当時われわれの政策は、正規軍をあまり大きくしない方針であった。
われわれの政策は、農民を組織し、武装させることであった。

後の中国紅軍―現在のわが八路軍―の多くの幹部たちは、この最初の湖南省における大農民闘争から出てきている。

現在(1937年)、准将になっている王霞や、いまは師団長になっている簫克(しょうこく)は、この当時の闘争から出てきたのだ。
簫克は、ある農民の6人の息子の一人で、当時すでに兄弟3人まで国民党軍に殺されていた。
そのほかの兄弟も、そのとき紅軍に入ったのだが、その後戦死してしまった。
わが軍の無数の戦士たちは、だれもみな、同じような身の上話を語ることができる」



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by far-east2040 | 2018-09-21 09:00 | 第6巻「土地革命の開始」改編