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 朱徳はその地方一帯をくまなく踏破して、地形と防御方法を研究し、匪賊になった農民たちの指導者王佐袁文才とかたりあった。このふたりは自分たちと同じ匪賊のひとりであった「耳の不自由な老チュウ」の話をしてきかせた。この耳の不自由な老チュウはよくこういったそうだ。「おまえらは、戦さのやり方なんぞ知らんでもええ。おまえらが知っとらんとだめなのは、どうして敵を囲むかということだけじゃ」


 彼らふたりは、「耳の不自由な老チュウ」の教えを忠実に守ったので、彼らの一生のあいだ、井岡山のまもりは一度も突破されたことがなかった。しかも彼らの部下たちは、弓矢などという原始的な武器でしか武装していなかった。この連中の大砲は、中をくりぬいた木の幹でできていた。大きな木を伐りだして、その幹の両はしを5,6フィートの長さに切った。一方のはしはそのままにしておき、反対側に穴をあけて、中を空洞にし、穴のあいていない方のはしの近くに点火用の小さな穴をあけた。黒色火薬の樽と、鉄や鉛の破片、それにとがった小石などがつめこまれた。


 このような木の大砲は、井岡山にのぼる5,6本のせまい山道にそって、秘密の場所にかくされていて、敵が近づいてきたときに、導火線に火をつけておいて、それからみんな必死に逃げてはなれた。大砲は爆発し、木っ端微塵にふっとんだ。だが、「敵兵どももみんなとび散って、骨ばかりになってしまった」


 井岡山でつかわれていた弓矢は、5,6フィート、あるいはそれ以上の長さのつるを張ったもので、矢の直径は3ないし6インチの太さで、そのやじりには毒がぬられてあった。弓の一方のはしは土の中に埋めて固定し、矢をはなつには、足で操縦するてこをつかった。



by far-east2040 | 2018-09-07 09:00 | 第6巻「土地革命の開始」改編