2018年 08月 31日 ( 1 )

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村に近づくと、紅軍はまず一人か二人の兵士を先行させた。
そこで農民たちは、外に出てきて、紅軍のために米を集め、負傷者や疲労した人を引きとって、かくまってくれた。

あとに残って農民の世話になるものは、みな、回復してから、農民を組織し、訓練することができるように、銃と数発の弾薬をあたえられた。


「紅軍の兵士を訓練するさいのわれわれの方針は、たとえたった一人だけしか生き残らなかったとしても、その一人が人民を蜂起させ、指導することができるようにすることだった」と朱将軍はかたった。

「あの恐怖にみちた時代には、数かぎりない戦闘をまじえたが、あるときはたった一回の戦闘で2百人もの同志を失ったこともあった。
またあるときには、20人の兵士と1人の黄埔軍官学校出身者が敵の捕虜になったことがあった。
この21人は、そのころ江西省南部のある県を守っていた一個連隊の敵軍に加わった。
2、3ヵ月後、彼らは、連隊全員を指導して、反乱をおこし、この県をゲリラ基地にかえてしまった。
その後、ここは、われわれのもっとも強力なソビエト地区のひとつになった」


さらにほかの戦闘では、朱徳の妻呉玉蘭も、行方不明者のひとりになった。

彼女は、拷問されてから、首を切られた。
その後、彼女の首は、郷里の
長沙の街に送られた。

市の長老たちは、その首を棒の上に突きたてて、大通りのさらしものにし、彼女と同じような考えをもつすべてのものへの見せしめにした。






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by far-east2040 | 2018-08-31 09:00 | 第6巻「土地革命の開始」改編