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           瞿秋白(Wikiより借用)


南昌の町は、いまや、革命旗の海と化した。
数万におよぶ人民と兵士が、どっと大集会に群れあつまり、演説する人のための演壇が10いくつもつくられた。
蜂起の翌朝、共産党の緊急会議が召集された。
陳独秀が、党書記長の地位を追われ、瞿秋白(くはくしゅう)が選出された。
この新しい書記は、有名な作家で、文芸復興運動の主要な指導者のひとりであった。


この会議は、革命委員会も選出したが、委員は、共産党員と当時まだ革命に忠実だった国民党指導員で構成された。

これらの国民党員の中には、孫逸仙夫人や、漢口政府の外交部長、陳友仁も加わっていた。
「鉄軍」は、そのとき南昌にいた革命委員会の委員たちとともに、広東省へ向かって南進を開始し、新たな革命政府を樹立することになった。

この遠征の資金をまかなうために、「鉄軍」と共産党から選ばれた委員会が、市中をまわって、銀行家やそのほか金持ちの家から、金を没収して歩いた。


ちょうどそのころ、朱徳は、新しい師団、第九師を編成して、みずからその指揮をとるように命じられた。

彼がにぎっていた軍官学校生3百人、南昌警察隊の全員4百人、それに数10人の労働者と学生が、この新師団に編入された。

しかし、蜂起で捕獲した小銃のほとんど全部は、すでに労働者や農民の手にわたってしまっていた。

農民運動講習所の男女6百人は、小銃と弾薬を小舟に積み、その上にわらをかぶせてかくし、流れをくだって、江西省のそれぞれの郷里へ帰り、農民を組織し、武装させる仕事にとりかかったのである。

方志敏は、多数の農民とともに、江西省東北にある彼の郷里、弋陽(よくよう)へ向かった。
その後数年足らずで、彼らはこの地方に、紅軍第十軍団をきずきあげた。


こうした事情から、朱徳は、彼の新師団の編成にあたって、わずか1千人の武装兵力しか動員することができなかった。


いよいよ土地革命が始まったのである。



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by far-east2040 | 2018-08-29 09:00 | 第6巻「土地革命の開始」改編