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              呉佩孚(Wikiより借用)


西の四川省は、いまも、劉湘の二人の軍閥がおさえていたが、楊は、彼の同盟者によって重慶から追いはらわれ、1万人ほどの軍をひきいて万県に司令部をおいて、東四川一帯を食い物にしていた。

昔の同盟者の手で弱体化されたので、揚子江流域の呉佩孚(ごはいふ)将軍の庇護をもとめていた。


楊森将軍は、かつて、旧雲南革命軍での朱徳の僚友だったが、その後袂をわけて、軍閥商売をはじめていた。
朱徳がヨーロッパに向かうまえ、楊は彼に「帰国すればいつでも参謀の席が待っていると思ってくれ」といった。
いま、朱と同志は、朱と楊の旧交をとりあげて語り、朱のみが、楊が国民革命軍を相手に戦うことを止めさせることができるという結論に達した。


7月末までに、朱は上海と南京での工作をおえて、四川に向かう船に乗った。

途中漢口でおりて、ひとつの仕事をはたし、それからまた旅をつづけるということになった。


8月の初めに漢口に上陸してみると、市には戒厳令がしかれ呉佩孚の軍隊が昼も夜も街を巡回し、時間ごとに料亭や茶館を捜索して、逃げたりこばんだりするものを片っぱしから射っていた。
揚子江上のイギリスの軍艦からは陸戦隊が上陸して租界をまもり、出入りするすべての中国人の身体検査をしていた。

恐怖が市をおおい、憎悪は厚く重なり、重い層になっていた。


朱は法律を超越する富豪をよそおって、傲然たる自信の態度を見せながら、街を闊歩したので、捜索も受けず、中国の銀行に入って、湖北の労働者を指導する地区共産党書記に置き手紙をした。

あくる日、彼は、労働運動指導者そのほか武漢で軍事や労働運動の責任をとっていた国共両党の党員たちと会った。

彼は、彼らに危険な命令を持ってきていた。

それは「南方の革命軍が接近してきたならば、ゼネストを起こし、交通を麻痺させ、漢陽造兵廠の労働者たちは、造兵廠を占拠して革命軍を待て」という内容であった。



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by far-east2040 | 2018-08-20 09:00 | 第5巻「大革命について」改編