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 ちょうど朱将軍が政治委員たちを連れて出発したころ、蒋介石は、ふたたび国民党中央委員会で勝利をおさめたのち、南京上海の占領計画を実現するために、下流に向かった。一方、朱徳はにつき、ただちに楊森将軍の司令部に行って、辞令――この軍閥の軍を国民軍内に編入し、朱を公式の国民党代表、つまり政治委員に任ずるというもの――をさし出した。あっけにとられて、朱が連れてきた40人の政治工作員をながめた。これからこの連中が、指揮官も兵士といっしょに国民党主義の教育をする、ときいたときには、さらにたまげてしまった。


 「金はどうした?」と、ふたりきりになったときに、彼は朱にたずねた。そこで「金はない、国民政府は革命戦争をやっているところだ、君は君の軍隊を養えるだけの収入をもってるじゃないか」と聞かされたときには、楊はかすかな苦笑を見せた。


 それからまた、金銭問題の問答が長時間つづいたが、朱はくりかえして、革命の財政問題の重大さについて語り、また、自分と政治工作員は、他のすべての国民軍のものと同様に、最低限度の生活維持費以上のものはもらっていない、とつけ加えた。また、楊が、彼の軍をうごかし「鉄軍」と協力して軍閥呉佩孚を湖北から一掃せよ、という国民政府からの命令を受けたときも、夜どおし問答がつづいた。


 楊森は「こんな政治工作員なんてものは、まったくいいことは何ひとつもない」と断言した。
自分の兵隊どもは、命令をきいて戦場で死ぬ、というのが兵の義務だというこんな簡単なことに、政治教育を受ける必要はない。こんな人間どもが、学者みたいに立ちまわって、いらぬことまでしゃべり出すようになったら、何のたしになるというのか。そんな、民主主義とか人民の生活向上とかいう議論は、すべて不服従か反乱かを呼び出すだけだ。また、農民組合や労働組合をゆるして、南方でやったような騒動をおこされるのも、まっぴらごめんだ。


 「漢口からの軍命令によって」朱将軍はいった。「わたしは、政治工作員の件だけでなく、はっきりしない点のある軍命令についても、妥協した。結局楊森は、私の政治工作員が、下級士官を養成する軍事訓練所で教育することはみとめたが、民族主義以外は教えてはならん、と命令した。孫逸仙の他の2つの主義とその政策については語ることをゆるさなかった。


 「私がそこまで妥協に応じると、彼はこんどは、どうしたら、軍を送って『鉄軍』が呉佩孚の傭兵を湖北から放逐するのを助けないですむか、という言い訳を考え出そうとした。それでも、しまいには一個師団を宜昌まで出して、そこにとどまらせた。そこにいた呉の守備隊はひどく貧弱なものだったから、咳払いひとつで揚子江に吹きとばせただろう。だが、楊は咳払いひとつしようとしなかった。そして、私にむかって、呉佩孚は旧友であり、自分が四川で地位をきずくときに助けてくれたので、そんな友とたたかうことはできない、と苦しい胸の内をあかした」



by far-east2040 | 2018-08-08 09:00 | 第5巻「大革命について」改編