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              張発奎(Wikiより借用)


「鉄軍」を朱徳は熱愛していて、彼はそれについては、感激なくしては語ることができなかった。

北伐軍が1926年中ごろに広東を出発したときには、6万人であったが、武漢に到達するまでに20万になっていた。

「鉄軍」は、第四軍とも呼ばれていたが、2個師団と独立1連隊で広東を出たものが、年末に漢口で3軍団に再編成されたときには、40万人に達した。


無数のものが、あらたに北伐軍にしたがったが、彼らは旧軍閥の部隊が、寝返って投じてきたものだった。
このことが、後におこった事故――たとえば、蒋介石軍が南京をとったときに外国人たちを略奪し殺傷した、というような事情を説明できるであろう。
しかしながら、新たに「鉄軍」に参加してきたものは、農民と労働者であって、彼らを朱将軍は「たちあがる農民労働者」とか革命の闘士とかとよんだ。
軍が武漢にはいると、数多くの印刷労働者、鉱山労働者、漢陽造兵廠その他の熟練労働者が加わってきた。


「鉄軍」は、全国民軍の中で、最も階級意識が強く、よく訓練され、軍紀を保っていた。

広東で募集された最初の部隊にしても、香港でストライキをおこなった労働者と広東の諸産業の労働者から編成され、士官――とくに若い士官たちは、黄埔軍官学校訓練された共産党員またはそのシンパであった。

軍内の政治部にいたってはすべて共産党員で占められていた。


このように「鉄軍」は、政治的信念によって武装され、進むところあらゆる敵をうちくだき、労働者と農民に呼びかけてたちあがらせ、封建的規律と軍閥をふるえあがらせた。


総指揮者は張発奎だったが、彼は汪精衛――国民党左派の当時の指導者で孫逸仙博士没後の国民政府首席――の徒党だった。
そして張将軍は、「鉄軍」を汪の意のままに使えるおのれの私兵と考えていた。
しかし、彼の指揮下にある共産党員たちは、みずからをただ純粋に革命のための武器、と心得ていたのである。



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by far-east2040 | 2018-08-06 09:00 | 第5巻「大革命について」改編