2018年 08月 05日 ( 1 )

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               葉挺(Wikiより借用)



1926年の末に武漢で「鉄軍」が再編成されたとき、その1軍団――第四軍は、張将軍の部下黄キ翔が指揮し、他の2軍団、つまり十一軍と二十軍は、共産党員葉挺賀竜将軍が指揮した。


葉挺は香港の裕福な家の、慎重で穏健な息子だったが、希望して外国に留学して、物理化学を修得しようとした。
しかし、その科学の研究をすてて革命に加わり、中国に帰って、孫逸仙のもとにはせ参じた。

1922年、広東共和政権をくつがえすようにイギリスにそそのかされた一地方軍閥によって、孫逸仙夫人の宋慶齡が殺害されようとしたのを救出した。

1923年、黄埔軍官学校が創立されたときに入学し、共産党に入り、北伐に際しては「鉄軍」の指揮官の一人になった。


もうひとりの共産党員軍指揮官の賀竜は、すでにそのころから、中国の最もめざましい人物だった。
その名をきくだけで、彼の友人や同志は唇をほころばせずにはいられなかった。

軍閥が華やかだったころに、文盲で貧しい農民だった賀は、みなが軍閥になるんなら、おいらだってなれるわけだ、と考えるようになった。
しかし、彼がえらんだ軍閥の道というのは、少しばかり性質がちがっていて、自分のような貧農を集めて軍をつくり、湖南西部の地主たちを追っぱらったものだから、「匪賊」という称号をもらうことになった。


彼の家族の多くの人びとも、無限運転機械のように生まれついていたらしい。
彼の姉にしてみてもーーほとんど彼ぐらい背の高い、大足の女で、地主の邸宅で労働していたのだが、やがて彼の軍の一隊をひきいた。
1930年代に、48才で、彼女は、部隊とともに戦闘に突入しつつ、銃を手にして戦死した。


賀竜は、旧い農民秘密結社「哥老会」の一員で、「双頭の竜」という最高の称号をもっているという噂だった。

若いころの彼は、太平の乱のつわものと昔の中央アジアのどこかの酋長とのハーフのように見え、40代になっても、頭の先から足の先まで、まさに双頭の竜であった。
背が高くたくましく、人間も悪鬼も猛獣も恐れず、その名をちらっと耳にしただけで、地主たちは荷物をまとめて逃げだした。
ある土地を占領するときには、まだ何里も遠くにいるという噂をまきちらす、たちの悪い癖をもっていて、そして地主の門をたたいて、にやりと笑いながらいった。


「さあ、来たぞ……」



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by far-east2040 | 2018-08-05 09:00 | 第5巻「大革命について」改編