2017年 07月 28日 ( 1 )

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数年前にハリウッドの女優アンジェリーナ・ジョリーの離婚に関するニュースの中で、彼女が実子以外にアジアの子どもを養子にしている事実を知って、ちょっと驚いた。


もう数十年もむかし外国の空港の待合コーナーで、たまたまとなり合わせになったやさしそうな年配のご夫婦と雑談の後、一枚の写真を見せられたことがある。

アメリカの白人夫婦を取り囲むように子どもたちが立っていて、その中に明かに顔つきの違う子どもがひとり混じっていた。

その子を指差して、夫婦が韓国から迎えた養子だと自慢していたことを覚えている。

私の養子への感想を聞いて、ご夫人の方が悲しげな顔をして、日本でも韓国でも外国の子どもを養子にすることがほとんどないと語っていたことが印象に残っている。


同じく数十年前に韓国に長く滞在していたカナダ人の宣教師夫妻と知り合いになり、実子以外に韓国から養子を迎えていることを知り、当時は奇異に感じたものだった。


養子であることの家族内の葛藤を描いたアメリカ映画を観たことがあるので、すべてうまくいくとは限らないだろうが、経済的な余裕だけで語れない、キリスト教に根ざした懐の深い文化の違いを強烈に感じてきた。


儒教文化圏だった東アジアでは養子に関する意識は違ってくる。


朱徳も養子であった。

朱徳の家は、祖父母と息子たち夫婦とその子どもたちで構成されていた。


「すべての農民家族と同じく、朱家とは、飢餓からまぬがれるためのきびしい重労働を目的として組織された経済的単位であった。」


家長である祖父のしっかり者の妻が家の内外の労働の割り振り、経済的管理すべての采配をふるって一家をまとめていた。

儒教社会での女性の地位の低さがよく語られるが、働き者の息子をたくさん産み育て、いいところへ嫁にやれる娘を育てた女性はやがて家族から敬意をもって扱われることは、一昔前の韓国社会を垣間見て感じてきた。


一方で、子を産めなかった女は儒教社会では生きづらかったことは想像できる。
必ずしも女側の原因ではないが、何年も妊娠しなかった場合、一方的に女のせいにして婚姻を破棄されることが多い社会だった。

ただし、子が産めない女の不幸は聖書にも出てくるし、西洋社会でも似たようなものだったと思う。


朱徳の伯父は長男で将来家長になると期待されていたが、子がいなかった。
彼は、そのことで妻を虐待することも追い払うこともしなかった。

そこで朱徳の両親である弟夫婦から三男である朱徳を固めの式によって養子にした。


「……一族は同じ屋根の下に住んでいるのだから、その新関係はすこしの変化ももたらさなかった。この養子縁組のおかげで、朱家の全息子のうちで彼ばかりが選ばれて、家を税吏その他の役人から守るために、教育を受けることになった。」


当時の社会ではこういう養子縁組は珍しいことではなかったはず。

むかし父方の一族の韓国の族譜(家系図のようなもの)を眺めていたとき、李氏朝鮮時代以前にこういう養子縁組の記載がよくあった。
不妊夫婦は3親等の甥から養子にしたようだ。


儒教社会で男系男子で一族を維持していこうと思えば、最後の切り札として、こういう身内の養子縁組で問題を解決することが必要だったということだ。

この場合も必ず一族からの養子であり、たとえば朱家にどこか別の○家からの男子を養子にすることは当時は考えられないことだったと思う。

姓が男系血縁集団を表現しているからだ。


韓国では再婚した女性の前夫の子が姓を変えることは可能らしいが、今でも、子がない夫婦がまったくの他人を養子をすることは、極めて珍しいというかほとんどないと思う。

封建社会を否定した現在の中国はどうかわからない。


朝鮮戦争後発生した多くの孤児が海外の養父母に送られたのも、韓国社会に経済的余裕がなかっただけでは説明できない。


日本は中国や韓国とはまた違っている。

家制度を守るために、息子がいない場合は婿養子という制度を利用して世代を繋ぐことがあって、これは日本独特だと思う。

血縁に拘らないから家長の男子は誰でもいいことになる。

ただし例外もある。

江戸時代の徳川家の家系図を見ると、正妻+αの女性のおかげで一応男系男子でつないできている。
天皇家もそうだ。
婿養子を認めてきていないところが共通している。


あまり詳しくないし、話が混乱してきたので、朱徳の時代に戻る。

周恩来は、革命途上で夫人が流産して以降、実子がなかった。

ふたりは孤児を何人か養子にして、慰みを得てきたようだが、そのひとりは朱徳の雲南軍時代の親友でいっしょにフランス留学した孫炳文の娘だった。

孫は革命途上で国民党軍に捕まり殺されるまで、周恩来の近くにいた人だった。
周恩来の養女になったこの女性は女優志望というだけあって、目鼻立ちが整った美人でひときわ目立つ人だ。
ところがどんな理由があったのかわからないが、文化大革命時代に悲惨な境遇で若くして亡くなっている。


ハン・スーインも子を産まなかったので、国民党軍の将校と結婚していたときに、身寄りのない女の子を養女にした。


男系男子の血縁にこだわる慣習(Y染色体への信仰)は確実に少なくなってきている。



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by far-east2040 | 2017-07-28 14:10 | 『偉大なる道』