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瀘定橋 『偉大なる道』第9巻②ー4

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 方針は即座に決まり、両岸の縦隊は川越しに信号を交わしながら行進を開始した。夜はたいまつの明かりで進んだ。18時間休みをとらずに進んで、やっと4時間の睡眠をとった。起きるとふたたび異様な山また山の険しい細道を、あえぎながら進んで行った。


 瀘定橋に着く数時間前に、林彪師団が後ろに遅れてしまった。敵軍に遭遇したという信号だった。本部隊は猛烈に突き進んで、上海虐殺十周年記念日の5月30日明け方、瀘定橋に着いた。何とかしてこの歴史的な日に渡河して、歴史が繰り返す場合は茶番でしかないことを証明したい、というのが彼らの決意だった。


 朱将軍の説明によると、この有名な吊り橋は両岸のセメントで固めた巨大な岩の杭に固定した、20本の大きな鉄の鎖でできている。鎖は「飯茶わんの直径ぐらいの太さ」があって、2尺(61センチ)ぐらいの間隔があり、鉄の横棒がついている。川はここでは300ヤード(274メートル)ぐらいにせばまっていた。敵の堡塁のある瀘定の村は北岸にあり、南岸には、2,3軒の家があるだけだった。敵は紅軍にそなえて、橋の北端から約100ヤード(91メートル)を残して、橋板をすっかり取りのけていた。だから約200ヤード(183メートル)の間は、500尺(152メートル)の下にとどろく激流を見下ろして、ゆらゆらと揺れる鉄の鎖があるだけだった。


 林彪師団はまだこなかったし、敵の兵力も全然わからなかった。だが、一刻の猶予も許されない。何としても橋に床板を敷いて渡らなければならない。部隊はすぐに、あたりの森の木を切りだす一方、壁板、扉、その他何でも床板になるものを集めにかかった。同時に第1回目に渡る志願者をつのった。部隊全員が志願したが、第一次の名誉は麻大珠の指揮する小隊がになった。第二次の小隊も選ばれた。両小隊の兵士は、銃、剣、手榴弾を背中にしばった。小隊長麻大珠が進み出て鎖の一つをつかみ、交互に手を持ち替えながら北岸をめざして進んで行った。次に小隊の政治指導員が進み、その後に兵士たちが続いた。彼らが揺れながらゆくとき、紅軍の機関銃は一斉に発射して火の幕で擁護し、工兵隊は木の幹を運んできて橋の床を敷き始めた。


 全軍は息を殺して、兵士たちが鉄の鎖をつたって揺れながら進んで行くのを見つめた。最初に麻大珠が撃たれて直下の激流に消え、また一人、また一人。しかも後から後から押し進んでゆくのだが、彼らが向かう側の橋床の残っているところに達する前に、敵兵が橋板にガソリン缶をぶちまけて火を放った。火炎が拡がるのをみて躊躇するものもあった。だが、小隊政治委員は、火が足元に達しない前に、ついに床に飛び降り、後に続けと叫んだ。後のものも進んで床に達し、その上に伏せ、手榴弾を取り出し銃剣をかまえた。


 火炎の中を走って敵の真ん中に手榴弾を投げつけた。火にまとわれながら次から次に新手が続いた。背後では同志たちの歓声があがり、それに混じって床に木を降ろす音がどさっ、どさっとひびいた。橋は銃をかまえて走りながら火を踏み消す兵士たちでいっぱいになった。敵は第二の防御線にしりぞいた。そのとき突如林彪の師団が背後にあらわれ、戦闘はここで終わった。


by far-east2040 | 2019-04-04 09:00 | 第9巻「長征」改編