朱徳と読書 『偉大なる道』第8巻②ー2

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まだほかにも仕事はあった、と、言葉をつづけ、将兵に軍務がないときには、農民を手伝って、春には土地をすき、種をまき、秋には収穫をしたと語った。
朱将軍も、できるかぎり農作業を手伝ったが、それは「私の健康を保つには最上の手段だった」

紅軍の慰安や文化活動は、そのころは比較的手薄だったけれども、いくつかの演劇隊が、ソビエト地区を巡回して、兵士や農民にみせていたが、もしそれが司令部からゆける所であれば、朱将軍は地べたにすわるか、前列のベンチにかけるかしていた。
軍にはいくつかの歌があったが、歌うことは、いま彼が語っている延安時代ほど発展していなかった、ということだ。


「まだほかにも、日々の情報や報道を読んでそれぞれ処理しなければならなかった」と彼は加えた。

「私は、新聞や本を見つけ次第読んだが、そのころは、本や雑誌を手にいれることはかんたんでなかった。

ときどき、上海から本の小包がきたが、みながすごく読みたがっていたので、私の手元にまわってくるまえに、ほかのものが取る、ということも多かった。

当時私は、マルクス・レーニン主義の知識を向上させようと努めていたので、その主題の本は、手に入り次第、くりかえし読んだ。

最初の敵全滅作戦のとき、戦略戦術の本やパンフレットをたくさん接収したので、私はそれを読んだが、わが軍のために役立った」


長沙と吉安の占領の時には、どちらでも、軍は国民党の印刷機を接収して、それを村落地区にうつした。
そして月2回の軍報道を出すことになったが、それには、他の紅軍や、パルチザン地区や、全国の情勢などについての報告がのせられた。
そのころ、上海、北京、その他の国民党支配下の都市の、教師や教授のあいだに、紅軍や、ソビエト地区の小学校のための教科書の元をつくろうという運動がおこった。
そうした原稿は、敵の戦線をこえて密輸されてきて、印刷されたり、石版にされたりしたが、朱将軍は、その兵士のための本を読んだこともあった。



by far-east2040 | 2019-01-14 09:00 | 第8巻「紅色方陣」改編