情報交換と情報共有 『偉大なる道』第8巻①ー5

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紅軍の通信機関はすぐれていて、司令部の伝令は、みな若い農民で、きわめて敏捷だった、と朱将軍はいった。


朱徳と毛沢東は、12月29日午後8時に、明け方に開始される予定の戦闘に関する詳細な命令を発した。
その命令は、あらゆる戦闘本部隊と予備部隊にあたえられたが、その中には、いつものように「政治動員」の集会をもつこと、そして軍指揮官は、兵士たちに、戦闘計画、敵の戦力、位置、装備と志気に関する情報をすべて教えるように指令されていた。
また政治指導者は、この戦闘の意義および革命運動全体の意義を、その集会で説くことになっていた。


朱将軍の命令の中で、強調されていた一点は、すべて紅軍部隊はたがいに密接に連絡をとりあって情報を交換し、また、医療品の収集に特別の注意をはらい「捕獲した無電機は大切にせよ」というのであった。


戦闘は12月30日の夜明けにはじまり、林彪と黄公略は、敵第十八師団を竜岡から狩り出し、敵がばらばらに解体し崩壊するまで、攻めては引き、引いては攻めた。

黄公略の部隊をなす農民と鉱山労働者は、江西省西北部のものたちだった。
その地方に、さきに張輝サン将軍の三個師団が入って、何百の村々を破壊し、紅軍に息子を送っていたすべての家族を殺戮した。
だから黄公略の部隊は、胸中に煮えかえる憎しみをもって戦った。

朱将軍にいわせれば、その部隊は、「われわれの司令部の眼の前でたたかい、敵の機銃弾が壁にぱちぱち当たった」


戦闘が高潮に達したとき、張輝サン将軍は、第十八師団の応援のため、第五十師団に出動の命令を出したが、「わが軍は、その直後に紅軍は無電局を占領した」
やがて第五十師団は進軍をはじめた。
どういうわけか、その師団は、そののち何らの通信を受けなかったので、ニントウ郊外で彭徳懐の軍と遭遇したときにも、しりぞいて待機した。

東固の第二十八師団もすこしも動かず、また南方の第十九路軍も動かなかった。



by far-east2040 | 2019-01-09 09:00 | 第8巻「紅色方陣」改編