東固ー興国地方ソビエト区結成 『偉大なる道』第6巻⑥ー7

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自然の美に対する深い感情をあらわしながら、朱将軍は、東固についても、まえに井岡山についてかたったときと同じようにくわしく描写した。
この山は、江西省を南北にのびる、森におおわれた山脈の一部である。
朱徳の話によると、かなり高い山岳地帯ではあるが、井岡山のような要害ではない。
4つの台地をこえて、せまい山道が通じている。
どちら側にも、えぞ松やもみの森があり、花をつけた竹や潅木の林がある。
春と夏には、あたり一面、おどろくほどたくさんの野花におおわれる。
頂上の近くは、広くて、肥沃な台地になっていて、小さな村々が点在し、その中心あたりに市のたつ東固の町がある。
この台地に流れ込む、肥沃な谷には、さらにほかの小さな村々がある。


東固の約25マイル南に、城壁をめぐらした大きな町、興国がある。
この町は、2、3週間後には紅軍の手中におち、東固といっしょになって、「東固―興国地方ソビエト区」を結成した。


東固にはすでに小さな病院が建てられていたが、紅軍の病人や負傷者、疲労しきった人たちまで収容できないので、農家の家に招かれて世話になった。


この高い台地で紅軍は休養をとり、入浴もした。

みな、ぼろぼろの着物に、つぎはぎをあてたり、煮沸して、みなを悩ませてきたしらみを駆除したりした。
傷ついた足の手当をし、自分の手で丈夫な縄でつくった底と、いろんな色の布の甲でできた、わらじを作ったりした。

しかし、1日も教育を休んだことはなかった。
毎朝、どの中隊も教練をやったり演習したりしているのが見られた。

1日2食の最初の食事がすむと、兵士たちは、それぞれ集合して、軍事指導者や政治指導者の講義をきくか、あるいは討論会に参加した。


読み書きのような、一般教育課程はまだ、その後おこなわれたように系統的には教えられていなかったが、土地革命のあけぼのともいうべきこの時期においてさえ、指揮官たちは、できるだけ時間をつくって、読み書きのできないものを教えようと努力していた。

紙や鉛筆はぜいたくの極みであった。
だが、みなは、輪になって地面に腰をおろし、小さな棒切れで土の上に、漢字や数字を書いたのである。



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by far-east2040 | 2018-08-27 09:00 | 第6巻「土地革命の開始」改編