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封鎖部隊突破計画 『偉大なる道』第6巻⑤ー13

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            馬上の彭徳懐(『抗日解放の中国』より借用)


 「井岡山の基地から、われわれは、敵軍を、見おろすことができた」と朱将軍はかたった。

「敵の動きは、全部わかった。やつらが、食事のしたくをするのも、われわれは見張っていた。月がまんまるくなる仲秋節の最期の晩、われわれは、1つの山道のふもとに露営していた敵軍六個中隊を、捕虜にしようとして、数個部隊を下山させた。2時間後に、彼らは、敵兵をつれ、敵の補給物資をもって、山道をのぼってきた。農民出身のこの六個中隊は、わが軍に参加した。1週間後には、封鎖部隊一個大隊が脱走して、わが軍に加わった。この連中は、四川の部隊で、この私も四川人だということをきいて、やってきた」


 敵の兵力は、ますます多くなり、封鎖を圧縮してきた。紅軍は、数週間にわたって、山をくだって、夜襲をくりかえしたが、その結果、たちまち、戦果以上に、多くの弾薬を消耗し、多くの死傷者もだした。井岡山周辺の農村における大衆運動は、弾圧され、地下に追いこまれていた。井岡山では、米は配給制で、部隊はかぼちゃ畑をつくっていた。何週間も、野菜といえば、かぼちゃばかりだった。


 9月の終わり以来、戦線は凍結状態におちいり、12月になると、紅軍は、飢餓に悩まされはじめた。病院や、兵舎には、5千人の兵士が充満していた。負傷者もあったが、大部分は、飢餓から病気になったもので、肺炎や結核にかかっているものもいた。雨が続き、寒い気候になっていたが、あたたかい服を着ているものは、ほとんどいなかった。


 12月の半ばころ、彭徳懐は、千人ほどを――その半数は農民だった――ひきいて、北の方から山岳地帯へやってきた。彭は、4千人の部隊を育てあげたのだが、その半数は戦死してしまった。千人の兵力を黄公略の指揮下に残し、彼はその残りをひきいて、井岡山にやってきた。

 彭徳懐の到着ののち、会議が召集され、敵の封鎖をぶちやぶる計画がつくられた。彭徳懐は、千5百人の兵力と、病人や負傷者をあずかって、山上にのこり、他方、毛沢東と朱徳は、政治部の多くの婦人――そのなかに、朱徳の妻呉玉蘭もいた――をもふくめて、残りの4千人をひきい、封鎖を破って、ゲリラ戦をおこない、敵軍の勢力を分散させることになった。この遠征に加わったものは、男も女もそれぞれ各自が携帯する袋に、1ポンドの米の飯をいれてもってゆくことになった。いくつかの前衛分隊が、各人数発の弾薬を支給されただけで、残りの弾薬すべて、井岡山に残しておいた。

 

by far-east2040 | 2018-09-03 09:00 | 第6巻「土地革命の開始」改編