広東へ進軍 『偉大なる道』第6巻②ー1

f0364260_14414137.jpg
              蔡挺階(『抗日解放の中国』より借用)



8月5日の夜明け、「鉄軍」の2つの縦隊は、たがいに10から20マイルの間隔をたもって並行しながら、南方、広東に向かって進軍を開始した。

先鋒隊と呼ばれた朱徳の部隊は、東側の縦隊から二日行程ほど前方を進み、人民に対する工作をおこない、後続部隊のための食糧を購入したり、宿舎の用意をしたりした。
ある夜、2つの縦隊は
宜黄でおちあって、会議をひらき、さらに行軍をつづけたが、その後数週間の行軍のあいだ、両縦隊は定期的に集合しつづけたのである。


宜黄をすぎて、しばらくいったあたりのことであった。
鉄軍第十師司令官、
蔡挺階将軍は、急におじけづいて、真東へ方向を変え、部隊をひきいて福建省内へ逃げこんでしまった。

その後数ヵ月のうちに、ふたたび彼は「鉄軍」の前司令官、張発奎指揮下に加わったのである。

この間、張発奎の方は、九江にもっていた軍のうち二個連隊を引き連れ、別の道をとって南へ向かった。

彼は、広東へいって、この華南の都市を、彼の指導者、汪精衞のための拠点として確保したいと考えて、地方軍閥を集めまとめていた。


第十師が脱走したというニュースが「鉄軍」の兵士にひろがるとともに、兵士たちはしきりに脱走し始めた。

国中が混乱状態におちいっていたので、兵士たちは自分たちの故郷へ帰ろうと考えたのである。
彼らは、たくさんの小さい流れのようになって、本隊をはなれ、横道へそれていった。
彼らは銃をかついで、秋の収穫期に合わせて計画した蜂起(秋収暴動)にさいして、自分たちの家族を助けるために帰っていった。
多くのものは、彼らの戦友たちにむかって、広東みたいに郷里から遠くはなれたすぎたところにはゆきたくない、とか、あるいは、郷里へ帰って、彼らの家族をテロから守ってやる必要がある、とか、いいわけをしていた。
こういう人びともけっして革命からはなれてしまったのではない、と朱将軍はかたった。

彼らは秋収蜂起でたたかったし、その多くは、その後、もう一度革命軍に加わっている。
このようなできごとはアメリカ革命のさいにも、アメリカの内乱のさいにも、いずれにもあった典型的な現象だ、と朱将軍はつけ加えた。



[PR]
by far-east2040 | 2018-10-16 09:00 | 第6巻「土地革命の開始」改編