共産党秘密会議 『偉大なる道』第6巻①ー2

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1927年7月18日、朱徳将軍は、ただちに任地を離れて、江西省北部の、南昌からそれほど遠くない小さな村でひらかれる共産党秘密会議に出席せよ、という招請をうけとった。
その日の夕刻、ある大きな建物へ入ってゆくと、そこには共産党の主な指導者たちが、多勢あつまっていた。


あたりには彼のよく知っている人びともたくさんいたが、名前だけしか聞いたことがない人もたくさんいた。
上海で殺されそうになって、あやうく脱出した
周恩来もきていた。
みんなは、周のことをただ「鉄の人」と呼んでいた。
四川省でかろうじて死地を脱出した
劉泊承もいた。
中国総工会の書記で、漢口政府の労工部長をしていた
蘇兆徴も、農業部長の譚平山といっしょにきていた。
また「鉄軍」の第十一軍と第二十軍の指揮官や参謀たちや政治指導者たちーー
葉挺、賀竜、葉剣英、李立三、劉志丹――もきていたが、彼らこそ、その後の歴史をつくったのである。
劉志丹は、もっとも初期から孫逸仙の運動に参加した一人である。


朱徳将軍が会ったことはあるが、名前は知らなかった人たちもいた。
そのひとりに、背の高い、やせた男がいた。
その名前は
毛沢東といい、農民運動の指導者で、共産党の政治局員であり、かつ国民党の中央委員にもなっていた。


朱将軍は、もっぱら、この会議で採決した諸決定の大すじだけを、私に話してくれた。


「われわれは、国民党に対するこれまでの政策を変更した。
一方で反軍閥、反帝国主義闘争はつづけながら、同時に、農民と労働者に武装させ、土地革命をはじめるという方針を採択した。

私も発言して、この決議に賛成した。
しかし、このような決定的な時期においてさえ、われわれが採決した農民政策は、極度に制限をうけていた。
地主の土地の没収に対しても、あるいは、農民の蜂起を援助するためでさえ、『鉄軍』をつかう計画をたてることができなかった。
この種の活動は、種々の人民組織や、党の幹部にまかされた。
われわれの党は、まだ若く、経験も浅かった。
あまりにも急速に大きくなったので、われわれはまだ、党の統一をかため、党の幹部を理論的に教育することができていなかった。
われわれは、はじめ、たやすく手にいれた勝利に陶酔してしまい、まもなく、いきなり、反革命によって、絶望のふちへたたきこまれたのであった。



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by far-east2040 | 2018-10-22 09:00 | 第6巻「土地革命の開始」改編