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南京事件(1927年) 『偉大なる道』第5巻②ー8

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            イギリス海軍の練習艦(Wikiより借用)



 2日後の3月24日、蒋介石軍の他の一支隊は、南京に突入して、無数の敵軍を、市中に追いまわした。敵軍は逃げながら掠奪を始めたのだが、まもなく蒋介石の軍隊も――その多くは軍閥の軍から寝返ってきたものだから、――いっしょになってしまった。そこで巻きおこった騒乱の中で、イギリスと日本の領事館その他の外国人の家が掠奪された。6人の外国人が殺され、12人が傷ついた。


 イギリスとアメリカの砲艦は、即座に南京に向かって火ぶたを切り、騒乱を終焉させ、それから陸戦隊をあげて、居留民を護衛して砲艦にむかえた。この事件で、数百の中国人が死んだ。


 この「南京事件」は、ほとんど国際武力干渉を招くところだったが、蒋介石がついに反革命の態度をとるようになった多くの原因の一つにもなった。蒋の方針は、もともと決まっていたのだ。しかし、いまや彼は、この南京事件の責任をすべて共産党に負わせて、わが軍内にいる政治工作員がこの暴発の元凶である、と声明した。


 外国人はこの解釈を喜んだのだが、総じて彼らも蒋も、ほとんど共産党に支配されていた「鉄軍」こそ、全国で最も軍規が正しい軍隊であり、かつて掠奪も外国人への暴行もしたことがないという事実を無視したのだ。


 朱徳将軍は、南京事件と上海ゼネストにつづく悲劇的な余波については、つぎのように語った。


 ――南京事件のさなかに、蒋介石は船から南京にいったん上陸したが、市に入って秩序を恢復することはしないで、にわかに他の船に乗りうつって上海に向かい、そこで彼は、労働者に、武器を捨て、ゼネストを中止し、工場に帰れ、と命令した。当時上海にいた共産党書記長陳独秀は、労働者にむかって、その命令にしたがうようにと勧告した。労働者は、すでにかずかずの奇怪な事件の発展によって目覚めていたので、その勧告を拒んだ。漢口の国民党政権は、布告して、今後は軍事は行政権に従うようにと命令した。上海には、革命臨時政権がすでに樹立されていて、労働者は、その政権、――すなわち漢口からの命令を受けている政権に、したがうことを誓った。


 だが労働者は見た――蒋介石は、上海に入ると、ただちに、中国の銀行家、工場主、それから青幇と、秘密の交渉に入り、青幇の連中は、フランス租界と共同租界当局の本部とのあいだを、いそがしく、かけまわっていた。しかも、蒋は、この上海を解放した革命勢力とは、話し合おうともしなかった。彼らに対しては、蒋は、元の奴隷状態に復帰すべし、と厳命した。青幇というのは、何万という、暴力団、アヘン売り、泥棒、女衒、ごろつきなどから成り立ち、外国人および中国人の反動派とつながっていて、労働者その他の革命勢力から憎まれていた。



by far-east2040 | 2018-07-30 09:00 | 第5巻「大革命について」改編