揚森将軍への説得 『偉大なる道』第5巻①ー5

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              馮玉祥(Wikiより借用)


楊は、朱の言葉が心にしみてこなかったのか、しばらく、どっちの側が勝つのかと、形勢の観察をつづけた。
くる日もくる日も、朱は楊に、国民党の運動の意味についてかたり、同時に、くる日もくる日も、革命軍の勝報は、ながれこんできた。
北伐軍は、何百万人の農民と労働者の蜂起によって打ちひらかれた道を、なだれ進んだ。
呉の子分の湖南軍
唐生智は、無駄な抵抗を少しやってみたのちに、国民党に寝返った。

北方では、2年前に国民党に入っていた馮玉祥将軍が「国民軍」をひきいて、華北の軍閥どもとたたかっていた。

馮将軍は、以前からキリスト教徒になっていたので、宣教師たちは彼を誇りとして「クリスチャン将軍」という美名で呼んでいた。
しかし
が国民党に入ったのを見ると、宣教師その他の外人は、彼をいやしめて「いわゆるクリスチャン将軍」というようになった。


楊森は、あちこちの地方軍閥が、落胆して、脱落してゆくのを見たが、それよりも彼を不安にしたのは、中国南部の人民大衆の動きだった。
南方では、農民組合が野火のようにひろがり、はだしの、大きなよごれた手の農民は、地主たちを大都市に追いこみ、そこで労働者が彼らをたたき、揚子江のあちらこちらへと追いまくるのだった。
そういう光景は、大地主でもあった軍閥を、恐怖につきおとすのに十分だった。


しかも、楊森は同盟者呉佩孚を支援する軍を送ることをしなかった。

9月はじめには、武漢でのゼネストの報が入ってきた。

労働者は、立ちあがって戦い、たおれたが、革命軍は揚子江をわたって、漢口と漢陽を占領し、大城壁をめぐらした武昌を包囲し、すぐに攻落した。
第四国民軍は、「鉄軍」の名で知られていたが、武漢の城壁そのほか、華南のあらゆる都市の城壁にその名をしるし、指揮官の
葉挺は、漢口の守備隊長となって、労働者を武装させていた。
「鉄軍」の、上下にわたるほかの指揮官たちの名も、労働者の口々でささやかれるようになっていった。
彼らの名は、賀竜、林彪、陳毅、聶栄臻(じょうえいしん)などだったが、一方、
毛沢東や周恩来という政治指導者の名もあらわれてきつつあった。



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by far-east2040 | 2018-07-28 09:00 | 第5巻「大革命について」改編