逮捕 『偉大なる道』第4巻②ー11

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「ドイツ帝国主義者たちは、ワイマール共和国に浸透してゆきながら、ふたたび、青島の海軍基地や中国内でのドイツ権益を獲得する日を、夢みていた。

彼らは警察内にも入りこんでいた。

そして、ほかならないわれわれの同胞が、われわれと敵対するために、彼らを利用したのだ。

私は、このドイツで、中国人がわれわれを敵としてドイツ帝国主義者とつながるのを見たとき、階級闘争における重要な第一課をまなんだ。

中国には古くからのことわざがある……鹿は虎とならんでは歩かない」


朱将軍は、人びとを国民党に組織したり、中国語の小新聞をだすための、あらゆる下ばたらきをするかたわらで、ドイツの労働者の集会に出て発言する時間をもち、そうした活動から、さらに広い分野の、国際的性質をもつ様々な会議に出席するようにもなった。

ブルガリア革命運動弾圧のテロに抗議する会合に出たために、2回も逮捕されたことがあった。

最初につかまったときは、中国領事館の要求によって釈放されたが、2回目のときは2日間牢獄に入れられた。


「警察は私を2日間牢に入れておきながら、さらにとどめるために何かの法律はないか、と研究した。
何もなかったので、私は釈放された。
だが、その後の私は、刑事らーー中国語をはなす「植民地係」から、自由だったことはない。
当時は、インフレの暗黒時代で、金でふくらんだ暴利をむさぼる商人どもが、料理店やカフェにあふれ、貧民は街頭にたおれて死んでいた。
われわれは、中国のいかなる事件も見のがしはしなかった。
1924年5月、北京政府が中ソ新条約をむすび、在北京アメリカ大使がソビエト大使のカラハンを妨害して、旧帝制時代の公使館を手に入れさせないようにして、すべての外国の帝国主義も、中ソ親善をさまげようとして横暴な行動をとったとき、われわれは中国人大会を召集した。


「こういうことがあった、そのころイギリス人やアメリカ人で、『黄禍』論を騒ぎ立てて反中国運動をおこした集団がいて、中国の自由と独立を主張したソ連を「白人世界の垣根の中の敵」と非難し、広東の革命政府を「過激派的なアナーキストの集団」といい、彼らは自由性愛を実行して中国人を混乱させている、といった」



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by far-east2040 | 2018-07-05 09:00 | 第4巻「探求」改編