上海の労働者の実態 『偉大なる道』第4巻①ー4

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           外国人租界と中国人居住地の2つの上海(『抗日解放の中国』より借用)



外国人であれ中国人であれ、工場主や職場長たちは、手に鞭をもって工場内を歩きまわり、のろのろと働いているものや、機械相手の過労で居眠りしているものを見ると、容赦なくむちうった、という事実を朱将軍は強調した。
1927年ごろまで、労働者が殺された、という話も決してめずらしいことではなかった。
労働時間は、12時間から14時間、いやもっと長いこともあり、賃金といえば、この調子で2、3年もたてばほとんど死ぬだろうというようなものであり、宿舎は、くらく非衛生的な、兎小屋とでもいえるような長屋であり、さまざまな病気の巣だった。
労働者に対する保護法というものは、そのころはもちろん、いま朱将軍が私と語っている1937年にもなかった。


「上海の労働者だけから絞りとられて外国人や中国人のものになった莫大な富のために、どれほどの人間の生命が犠牲になったかを、計算してみたものはない」と朱将軍はいった。

「1937年の今日まで、上海では死体運搬車が毎日動きまわって、路上の死体をひろってゆく。
上海では、年々、3万から5万の、そうした死体がひろいあげられて、難民墓地にうめられる。
ほかに、親類や友人の手で葬られるものも何千かあるだろう。
またほかに、まったく計算されないが、何千の疲労困憊した労働者が、故郷の村に帰って死ね、と毎年工場から解雇される」


途方もない夢みたいな富と特権の話をきかされ読まされた、この市の見物に朱将軍は出かける。
東西南北、隅から隅まで、ある時は、大建築と舗装された道路、電気水道の設備がある、すばらしい外国商社や住宅の地域を、またある時は、男、女、子どもが一杯の椀のために苦労する「暗黒地獄」的な労働者居住地域を歩きまわるのだった。
彼はまた、何千という小工場をのぞいてみたが、そこでは、飢饉や戦禍の地方から買ってこられた少年たちが、原始的な機械の前に倒れ死ぬまで奴隷のようにはたらかされていた。
貧困と病苦と悲惨は棺おおいのように、上海のすべての労働者階級のうえをおおっていた。
彼の言葉によれば、その市は「少数者には無限の贅沢と堕落、多数者には無限の労働と苦悩の地獄だった」

夜になると、家のない労働者らが、彼らの手で建てた近代的な大建築物のかげの、かたい舗道で寝るのを見るが、「その身体は、その上にローラーをかけたように、やせて平たくなっていた」



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by far-east2040 | 2018-07-20 09:00 | 第4巻「探求」改編