四川軍閥史の登場人物 『偉大なる道』第3巻③ー2

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           熊克武(Wikiより借用)



1917年に成都の主権をにぎり、雲南護軍と休戦したのち、勝ち誇った軍閥一派は、使節を護軍に送ってきて、近接の貴州省雲南省にそなえて軍事同盟を結ぼうと、申し出た。

そして一方では、その成都軍閥は、別の使節を貴州と雲南省に送って、護軍に対して軍事同盟を結ぶことを提案していた。

こういう二重の取引や裏切りは、典型的な軍閥のやり方だった、と朱将軍は説明した。

主義主張などには一切御用なしだった。

護軍の方にきた使節は、劉伯承という若者だったが、彼は30年後には共産軍の「独眼将軍」として知られ、中国が生んだもっとも輝かしいた革命戦術家のひとりとなった。


「人はそれぞれの道をゆくものだ」と朱将軍は劉伯のことを話題にしていった。

「軍閥になって最後まで押しとおすものもあり、軍閥争いの泥沼でのたうったあげくに、やっと新しい革命の道を発見するものもあったかと思えば、はっきりと新しい道を見ながら、過去に完全に毒されていたために、いつまでも軍閥にとどまるものもあった。

多くの国民党の軍人が軍閥になった。
劉伯承と私のふたりは、新しい革命の道を追うことになった」


朱将軍が物語った四川軍閥史は、長々としてこみいっていて、また彼や他の人びとにとっての堕落と災難の記録でいっぱいだったので、ここでは1、2の局面を語るだけにとどめよう。

雲南護軍は、近接省に対しての軍事同盟の提案を拒絶してまもなく、成都軍閥にむかって攻撃を開始し、勝利をおさめ、省の大部分をおのれの支配下においた。

敗れた諸軍は、省の辺鄙な地区で「力をたくわえ」――朱将軍の表現にしたがえば、「彼らを引きまわしてくれる強力な軍閥の出現を待った」


その軍閥はすぐにあらわれたが、それは熊克武(ゆうこくぶ)将軍、すなわち、護軍が成都督軍の権限をあたえた人物にほかならなかった。

朱将軍は、熊克武を、革命家から軍閥への転向者の標本Xとしてえらんだ。
熊の幕僚
張群劉湘楊森という二人の野心的な軍人も標本に追加したが、すべて後年に朱徳の不倶戴天の敵となった。



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by far-east2040 | 2018-05-31 09:00 | 第3巻「災厄と禍害」改編