四川戦争 『偉大なる道』第3巻①ー12

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           梁啓超(Wikiより借用)


「われわれは、この反帝制戦争のときに、はじめて農民のあいだに民衆工作をおこなった」と朱将軍はいった。

「農民たちは、哥老会にひきいられて、武装してたちあがり、敵の輸送線を攻撃し、われわれに糧食弾薬をはこんだ。

舟乗りたちは、われわれに補給するために河をのぼりくだりしたり、わが部隊をのせて河をわたったり、戦場から負傷者をはこんで帰ったりした」


共和派には今回の蜂起でさまざまな新しい同盟者が加わった。

有名な論客梁啓超は、かねてから「進歩党」を組織していたが、彼にしたがう人びとをまとめあげて革命を助けた。

四川その他の省の革命家たちや海外の亡命から帰国したものたちが、護国軍にはせ参じた。

その亡命客のひとり孫炳文は、すぐに朱徳のもっとも親しい友のひとりになり、それから7年のあいだ、決定的な影響を彼に及ぼすことになった。


諸戦の3日間の損害のため、護国軍は停止して、再編成や弾薬の補給や部隊の新配置をしなければならなかった。

この再編成にあたって、蔡鍔将軍は朱徳を准将に昇進させ、旅団の指揮をさせ、亡命帰りの孫炳文を旅団副官に任命したが、当時その地位はーーすくなくとも朱徳の場合にはーー一種の政治委員というべきものであった。


朱将軍に描写によると、孫炳文という古強者の革命家は、三十代の半ばで、中背で「農民みたいに」色が黒かった。

孫は北京大学の卒業生だったが、その北京で、1911年に、摂政親王を暗殺する陰謀に参加した。

陰謀が失敗したので、日本へ亡命する仲間に入り、日本では、1915年―16年の革命がおこるまで、孫逸仙博士の『共和派新聞』ではたらいていた。

孫は四川の学者の家の出だったが、一家は、1898年の改革運動以来、あらゆる革命的な行動に参加していた。

孫の妹は、あらゆる封建的思想をすてていて、1911年革命には、地下工作者として活躍した。



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by far-east2040 | 2018-06-15 09:00 | 第3巻「災厄と禍害」改編