呉三桂の遺跡 『偉大なる道』第2巻③ー3

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           呉三桂(Wikiより借用)


返信を待つあいだ、ふたりは雲南の町や近郊を熱心に見物し、中国の農民と山岳民族のロロ族やシャン族がごった返す市場もたずねたこともあった。

彼らは、自らを近代的な解放された青年と思ってはいたが、結局は、その時代の子であり、つまりその時代の知識の子であり、多くの迷信や偏見、神話的歴史を受け入れていた。
ほかの中国人と同様に、ロロ族を野蛮人だと考え、一方、雲南は17世紀の呉三桂将軍によって開明されたのだという神話を、疑問がさしはさむことなく受け入れた。

何年かたって、ようやく朱徳は、呉三桂とは民族の裏切者であって、1644年に満州族を中国に招きいれ、華北に蜂起した農民の弾圧を手伝った男だということを知った。
満州軍は、ひとたび長城内に入ると、呉将軍の買収の申し出と、元の東北に帰ってくれという要求をしりぞけた。
ついに居すわって、中国全土を征服し、呉三桂を、雲南省ととなりの貴州省の総督に任命した。

呉三桂は雲南を根拠地として、明朝最後の王を狩り立てて、雲南城内の、いまも「逼死坂」とよばれる丘で殺した。
いまは1909年で、朱徳とチン・クンは呉三桂の暴政の遺跡をものめずらしく訪ねまわった。


チンの友人がまもなく到着して、ふたりをウチャパにつれてゆき、彼らはそこで、四川軍の士官たちと知り合いになろうと工作しはじめた。
何年もこの省に住んできた士官の友好をもとめて、後援を得ることができたら、軍官学校に入ることもゆるされるはずだった。


朱将軍の説明によると、そのころの雲南軍の実態はすごく複雑なものだった。

旧来の封建的な地方軍のほかに、2、3の都市では、新軍の連隊や師団が組織されつつあった。

省内に、何年も前から、四川省人の連隊がひとつ存在していて、それを中核として、新制第十九師、つまり新式軍隊の中心をなすものがウチャパで編成されていた。

その連隊は高度に訓練され武装していたので、その士官と兵の多くが、雲南省人の新連隊を訓練するために送り出されていた。



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by far-east2040 | 2018-04-19 09:00 | 第2巻「革命への道」改編