日露戦争の影響 『偉大なる道』第2巻①ー2

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           日露戦争の戦場となった地域(Wikiより引用)


日本の勝利の知らせが四川の村々に達するには数週間かかった。


朱徳がいうには、この戦後から日本の勢力が急速に中国にしみわたってきた。
日本人の顧問が、政府の各部門、産業、いろいろな種類の学校、大学に入ってくるようになった。

「日本人の教師が、私の家からそんなに遠くない新学校にまできて、教えはじめた。
日本帝国主義の急激な勃興にあわてて、北京は何千の学生を日本に送った。

そのうえ、私費留学生が群れとなって日本にわたったが、主に、軍事、行政、国際法などを学ぶためだった」


多くのものが日本に留学したのは、そこでの生活費が中国とほぼ同じだったからだ。

義和団賠償金の奨学金でアメリカに行ったものもいたが、1905年ごろは人気がなかった。

というのは、そのときに中国人排斥法案制定が決定され、さらにアメリカ国内の中国人の虐待、ひどいのは殺害の噂まで中国につたわってきていたからだった。
全国民的なアメリカ製品不買運動がはじまり、大湾ですら人びとはものを買うとき、アメリカ製品かどうかをひとつひとつ注意深くしらべたものだった。


「1905年には、ロシアに動揺が起こっているという噂も耳にした」と朱将軍はいった。

「だが、四川にいては、1905年のロシア革命についてはそれ以上のことはわからなかった。

ロシアははるか遠いところだった。

白人の帝国主義強国がアジア民族の日本に敗れたということは、エジプトから中国までの被征服国民に希望の火をつけて、独立への民族主義的闘争の火ぶたが切られはじめた」


しかし、日本がロシアを破ったことは、中国では、インドやペルシアその他の国のようには受けとれなかった、と朱将軍はいう。

というのは、この戦争は、中国の勢力範囲内で中国の領土をあらそって起きたものだったからだ。

すべての中国人が、孫逸仙先生が考えたように、日本の勝利は白人支配者に対するアジア諸民族の闘争の烽火(ほうか)であると考えたわけではなかった。

孫博士は日本を利用しようとしたが、日本の帝国主義者は、中国の民族主義運動を利用してごたごたを起こし、漁夫の利を得ようともくろんだ。



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by far-east2040 | 2018-05-13 09:00 | 第2巻「革命への道」改編