1904年から1905年 『偉大なる道』第2巻①ー1

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           日英同盟の風刺画(ビゴー作、Wikiより引用)


朱将軍は、つぎに談話をしにきたとき、義和団の乱につづく民衆の惨苦についてながながと物語った。

広西省では大飢饉になった。

政府軍は、飢えて反乱する人民を殺し、村を打ちこわし、遺棄された死体の山は犬がむさぼるままにさせられた。


多くの省で、年1回の地租が6回も7回も取り立てられ、牢屋は、そうした税が払えなかったり、役人が要求する賄賂が出せなかったりする農民でいっぱいになった。

朱家は、他とくらべてかなり運がよかったが、それでも、役人から税を厳しくとりたてられ苦労した。

きびしい労働を7年間たえて、なんとか以前からの1万文の借金をかたづけることができた。

と思う間もなく、新税でしぼりあげられて、一文無しにされた。

地代は上がり、借金の利息も高くなった。

前々から朱家は、朱徳の授業料を払うために二度ばかり小さな借金をしていたが、義和団の乱後のものすごい不況では、授業料をはらうことも、目玉が飛び出るような利息で借金することもできなかった。


シ老先生は朱徳を塾から手放すのを惜しんで、自分の家に住みこませて、食事代として分割払いで米百斤を出してほしいといってきた。

というわけでこれからは、朱徳は休日と休暇にだけ家に帰って、ほかのものといっしょに田畑ではたらくことになった。


老師の家に仮住まいするようになってからは、その家に宿をかりる読書人の旅人の話をきいたり、夜半までろうそくの火影にすわって、おそるべき反乱の予感について語ることも多かった。

こうした旅人のなかには、成都の官辺とつながりがあるものもいて、よく情報に通じていた。

1904年から1905年の学年もおわったが、彼はまだ師の家に住む弟子として勉学し、旅人の話に傾聴し、そうでなければとうてい得られなかったような広い知識を身につけた。

日英同盟の話もきいた。

1904年には、こんどは日本と帝制ロシアが満州を争ってたたかうという新しい戦争の風説が流れてきた。



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by far-east2040 | 2018-05-14 09:00 | 第2巻「革命への道」改編