列強による中国の解体 『偉大なる道』第1巻③ー13

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           列強による中国の解体の風刺画(Wikiより引用)


1897年には、朱将軍は11歳になったばかりだったが、列強によって中国の解体と隷属化がおこなわれ、国土がいくつかの「勢力範囲」に分割されてゆくときの恐怖感を、今もまざまざと思いうかべることができる。
率先して悪例をつくったのはドイツ人で、まず山東省で謀略によって自国の2人の宣教師を殺させ、その事件を口実に青島をうばって大海軍基地をつくり、周辺の土地もとりこみ、さらに全省を自分たちの「勢力範囲」だと主張して、そこでの産業開発については、他のいかなる国の経済権益よりも優先権をもつことになった。

そのうえ、2人の宣教師のために北京から賠償金をとり、それから山東省での鉱山の採掘と2つの鉄道の権利をえた。


まるで申し合わせたかのように、他の列強もぞくぞくと中国の他の地方をそれぞれの特殊勢力範囲として要求してきた。
帝制ロシアは満州をもとめ、イギリスは北では威海衛を海軍基地とし、さらに揚子江の河谷と香港対岸の九竜を勢力下においた。
フランスはインドシナ国境に近い広州湾をとり、インドシナに境を接する三省は特別な権益地だと主張し、ハイフォンから雲南府への鉄道のための測量をはじめた。
フランスとイギリスはともに雲南、四川両省を勢力範囲だといい、イギリスは砲艦に命じて揚子江上流を遊弋(ゆうよく)させ、四川省に鉄道をしく準備をした。


日本はすでに併合していた台湾の対岸の福建省を要求し、イタリアも上海の南の方に海軍基地をほしがった。
「北京はイタリアの要求は拒絶した。
つまり、イタリアの陸海軍ではおどしがきかなかったのだ」と朱将軍は手きびしいことをいった。


全中国がこの「追いはぎ」どもに分配されていたとき、アメリカも帝国主義の競技場にのりこんできて、自国内の強力な反帝国主義運動の抗議を無視して、フィリピンをうばいとった。
そして、他国の「勢力範囲」があるために、ほとんど経済権益の進出の余地がなくなっていた中国に目をそそぎはじめた。


イギリスは獅子の分け前を取っていたのだが、彼らには彼らの悩みがあった。
第二次アヘン戦争以来、イギリスはあらゆる輸出入の出入り口である海関を支配し、事業権益で中国市場をおさえていた。
しかし、諸「勢力範囲」はイギリスの貿易支配をおびやかし、競争する他の強国のあいだの戦争となる恐れすらあった。
そればかりではなく、中国の解体と隷属化によって激化する不安は国内に革命的気運をかもしだし、列強は何かしら第二の太平天国の乱のようなものを恐れていた、と朱将軍はいった。


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by far-east2040 | 2018-02-25 09:00 | 第1巻「道の始まり」改編