太平革命と西洋 『偉大なる道』第1巻②ー12

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           アロー戦争 (Wikipediaより引用)



この太平革命が、西方世界での人びとの努力の大潮流のことを知らず、孤立無援に存在し、戦っていたというこのことこそ、この民族の気高い英知と偉大な精神力のすべてを明らかに証明している。
それなのに、西方世界はその当時だけでなく、その後の百年間にもわたって、この民族を反動的で無知蒙眛で愚純なものとみなしてきたのである。


当時は、西洋で多くの大発見がなされていた時代だったが、その多くのものは、近代戦の武器の製法を知らない中国などを制圧するために使用された。
中産階級は封建制とたたかい、進歩的な社会改革をもとめていた。

イギリスの進歩派はすでに黒人奴隷制を廃止することに成功し、女性たちは性の平等を要求し、労働階級は組合と政治結社の組織の権利を主張していた。


ちょうど太平反乱がはじまるころ、カール・マルクスとフリードリヒ・エンゲルスは『共産党宣言』をだし、国際的な労働者の団結、つまり第一インターナショナルを組織していた。
またそのころ、ダーウインは『種の起源』を世に問うており、1848年革命は勃発し、くすぶり、消えてゆき、インドの1857年の独立戦は血の海の中にほろびさり、産業化した北部アメリカは、奴隷制の上にたつ封建的南部とたたかった。


ヨーロッパとアメリカの進歩勢力は、たがいに励ましあい慰めあっていたのだが、はるか遠いところで孤立していた中国の太平運動は、同じように封建主義さらに帝国主義との闘いをつづけていたのである。
もし、西方の反動勢力が中国反動の援助に来なかったならば、勝利をおさめていただろうと思われる。


大平軍は土地を没収して分配し、奴隷制をやめ、女性を解放することで、封建制に致命的打撃を加えた。
彼らは、アヘンを大罪悪とした。
売春と酒とタバコを禁じた。
安息日には、すべての太平の徒は集会して、説教をきき、賛美歌をうたい、上帝の十の法、つまり十戒を復誦した。


この大いなる平和の王国は15年間存続したが、歳月の流れとともに、指導者たちは兄弟相殺すような内紛や、外からの誘惑による堕落の沼におちていった。
しかし太平の破滅の決定的な原因となったものは、イギリスと同盟軍のフランスが北京政府に仕掛けた1858年の第二次アヘン戦争(アロー戦争)であった。

この戦争は天津条約で終わり、それによってイギリスのアヘン輸入と販売は公認され、巨額の賠償金が課せられ、中国海関はイギリスの管理下におかれることになった。

満州朝は、この条約の履行を約束した。
しかし太平は、これは中国隷属化の鎖の新しい一環であるとして、強固に反対した。
すると、外国帝国主義者たちは、それまではおおよそ中立的立場をとっていたのに、今やその砲口を太平天国にむけ、満州軍や地主階級の軍と合体して、彼らの手先になることをこばむキリスト教勢力を踏みつぶす仕事にとりかかった。

このとき、外国の宣教師たちはただちに発見した。

つまり太平の徒は真正なキリスト教徒ではなく、洗礼のやり方はまちがっていて、教義は孔子の教えによってけがされており、結局彼らはニセモノであるということだった。

それで西方のキリスト教の強国と宣教師たちは、満州朝と中国の地主を応援することになった。
この地主たちは、まぎれもない「異教徒」、頑固な封建倫理体系としての儒教の支持者、すべてのキリスト教に対する執念深い仇敵であったはずなのに。


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by far-east2040 | 2018-03-08 10:41 | 第1巻「道の始まり」改編