養子縁組 『偉大なる道』第1巻①ー5

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女の義務とは、働くこと、それから、家系をつづかせ家の労働力を増やすために子を生むことであった。

その古来の義務がはたせなかったら、夫は彼女を去らせることができた。

妻の方からはどんな理由であっても、離婚することはできないが、夫はさまざまな理由から、たとえば自分と両親とのいうことをきかないとか、両親をうやまわないとか、しゃべりすぎるとかで、妻を「追っぱらう」ことができる。
好きなだけしゃべられるというのは男の特権だった。


役人や金持ちの家はみな妾をもっていたが、農民はそういうぜいたくはできなかった。

蓄妾は男性の権威を高めるというのが古来の封建の教えであった。

朱家の女も娘は、すべての農家の女たちと同様にてん足し、おさえつけられていて、娘に教育を受けさせるなどということは、他人の庭に水をまくことのように馬鹿げたこととされていた。

 

朱徳の伯父朱・シー・ニェンは風変わりな男だった。
妻を虐待したことがなく、子がなかったのに追っぱらうこともしなかった。

この夫婦は子がいなかったので、「子犬」は幼いときに、彼らにゆずり渡され、固めの式によって養子となった。

どうして自分が選ばれたかはわからなかったが、一族は同じ屋根の下に住んでいるので、その新しい関係はなんら変化をもたらさなかった。

しかし、のちになると、この養子縁組のおかげで、朱家のすべての息子たちのうちで彼ばかりが選ばれて、家を税吏その他の役人から守るために教育を受けることになった。

 

朱将軍の母はチュン家の出だったが、その家の人たちは旅芸人で、結婚、葬式、誕生祝などに、楽人や役者としてやとわれたり、田舎の祭りや市の日に、簡単な舞台をしつらえて、どたばたの道化芝居をやったり、古い伝統劇をやったりした。

こういう芸人は世間から疎外されていて、目もあてられないほど貧しく、また政治的にうさん臭いものと見なされることもあった。

「だが、とても陽気で面白い連中でね。百姓らはそういう気のおけない芸人を好いたものだ」と朱徳は思い出しながら、愛情にみちた微笑をみせた。


朱家の子たちは民謡をうたったり、手に入るものならどんな楽器でも鳴らしたりして成長していったが、そういうことは、おそらくチュン家の血を引いていたからだろう。
ある民謡の節はもの悲しく、あるものは陽気で騒々しく滑稽であり、また数すくないが恋の抒情もあり、そうかと思うと、ひそかに政治を風刺したものもあった。
当時の清朝、つまり満州朝を批判したものがひとつあった。


   昔の四川はどうかというと

   それこそまことの天国で

   代々の帝王さまの都だった。

   どえらい国で、力が強くて、

   八方から呉をおどかした。

   大臣さまの御殿の前の杉

   がっしりと立つ頼もしさ。

   じゃが、今はどうだろ!



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by far-east2040 | 2018-03-24 10:54 | 第1巻「道の始まり」改編