国内平和を求めて 「偉大なる道」⑤―1

f0364260_21280652.jpg

1946年1月に、朱将軍は外国人記者ジョン・ロデリックと会談したが、彼は朱将軍のことを「熱心な聴き手」で、「旧世界的な作法」をもった人であり、すすめられる煙草をとる前などには両手を胸のあたりで握り合わせて、軽く頭をさげると書いた。

ロデリックの話によると、朱将軍はそのころはもう兵隊とバスケット・ボールをすることはなく、長い散歩をとり、ときどき馬に乗って猟に出かけた。

戦争中に日本の爆弾で破壊されていた延安から5マイル離れた酷寒の洞窟にすわっている朱徳の姿は、「無給のみすぼらしい身なりの革命家だが、階級はアメリカの5つ星の将軍に匹敵するのだ」


「この天下のおたずねものはほとんど護衛なしに、しかも決して武装せずに延安を歩きまわる。

彼の兵隊たちは、中国の軍隊では稀有なことだが、彼を偶像視している。
重慶の統一交渉が進行中で、重要な党の決定や配下130万の部下の指揮などで多忙なこのごろは、毎日朝から晩まで予定表に従って動いている。

6時に起きて朝食をすますと、すぐ前線からの電報の山にとびつく。

軽い昼食をとって、午後もずっと仕事を続け、他の指導者たちと会議をしたり、時には彼らに会うため5マイル歩いて町に出る。

朝食前と夕食後には本や新聞をむさぼるように読み、外国のニュース放送や新聞の翻訳を通じて、国際情報におくれないようにする……

「生涯を統一と自由と民主主義のための戦いで過ごしてきたので、それが成就しさえすれば、自分はいつでも即座に武器をすててもかまわないと彼はいう。
『1946年にはそれが実現するといいのだが』とつけ加える」


朱将軍は非常に熱心に重慶会談のことを話した。

「日本がやぶれ、ロシアは問題ではなく、内戦の危機も明白に去った」とすれば、次に必要なことは軍隊を国でまかなえる程度まで縮小し再編成することだと彼は考えた。

国民党軍90師団、共産軍20師団という協定はもっと縮小すべきだと考えた。

中国はできるかぎり自分の足で立つべきであり、蒋介石が頼んで来てもらい、ウェデマイヤー将軍がいまそこで働いているアメリカ軍事顧問団のようなものは不必要だと見た。


なおまた、軍事目的の外国借款は返すことがむずかしいが、産業建設につかう借款は新しい工場の生産から支払うことができ、同時に生活水準を引き上げることができる。


極東の平和を維持するには、十分訓練された大きな軍隊が必要ではないかという質問が出たとき、朱将軍は新しい中国の民主政府の存在こそ国内平和の最大の保証だと思うと答えた。


「われわれが軍隊を国軍に統一することを主張しているのはそのためだ。

中国では、大きな軍隊を維持する誘引になる権力や利潤を取り除くことが、先決問題だ」


熱心に語りながら、これはこう結論した。


「私はこの華北で、人間が逮捕やテロにおびやかされずに生活でき、自由に民主的な自治を行なうことのできる地域をつくりだす仕事を、手伝ってきた。

私は幸いに生きのこって、現にわれわれの打ちたてた民主主義が、現在混乱と圧迫との中に住む地域の中国人から要求されているのを、自分の眼で見ることができた。
この点で私は有りがたいと思っている。
私の生涯は、無駄ではなかった」


重慶の統一会議の妥結を祝う2月4日の延安の民衆大会で、朱将軍は、もし中国が30年の平和を手に入れることができるならば、世界のどこにも負けない近代的国家になるだろうという確信をのべた。

総統が民主政府に同意したことに敬意を表すといった上で、蒋介石に延安辺区の軍事封鎖をやめて、その誠意を示してほしいと呼びかけた。

しかし蒋はこのよびかけを無視した。


3月4日、マーシャル将軍が延安をたずねた。

朱将軍はその歓迎民衆大会で、マーシャル将軍が三ヶ月足らずのあいだに中国の内戦をとめ、軍の再編成計画をたて、民主主義と平和とへの第一歩を成就した功績をたたえた。

そして人民解放軍は停戦条項とマーシャルの設置した軍事執行部の指令を忠実に実行するとのべた。


紫字はアグネス・スメドレー著 阿部知二訳『偉大なる道』より抜粋


[PR]
by far-east2040 | 2017-06-09 21:34 | 朱徳の半生(改編後削除予定)