重慶協定調印 「偉大なる道」④―3

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朱将軍が満州地域の問題を考えていた当時、中国の情勢がまた急に変わった。

1945年12月15日にトルーマン大統領は声明を発表して、アメリカ政府は、「中国の国民政府が一党専制の政府」だということを認めること、そして政治的統一は中国人自身によってのみ作り出されるということを明らかにした。

大統領は内戦の停止命令を擁護して、平和と統一と民主的改革は中国政府の基盤をひろげて他の党派を含めることによって促進されるといった。

アメリカ政府はそうした基盤の拡大された政府に融資するだろう。


この声明と、それを具体化するためのジョージ・マーシャル将軍の派遣を中国人民は大きな喜びをもって迎えた。


重慶の『新華日報』は「いざ立て! 人民大衆よ」と叫んだし、上海の新聞も一斉に歓呼し、そして『大公報』は上海の学生たちからマーシャル将軍への訴えをかかげた。


「(1)民主的中国政府の樹立を援助していただきたい。

(2)中国における工業、農業、商業、医療、および文化事業の発展を援助していただきたい。

(3)中国国民の利益を尊重し、故ルーズベルト大統領の政策を実行してほしい。

(4)中米友好が強化されるように中国人民の真の感情をよく理解してほしい。

(5)内戦を公正に仲裁していただきたい。

(6)アメリカ軍隊をできるだけ早く中国から撤退し、またレンド・リース協定の兵器による中国部隊の援助を停止してほしい」


毛沢東と朱徳はトルーマン声明を歓迎することを発表し、ジョージ・マーシャルが「パトリック・ハーレイ将軍とアルバート・ウェデマイヤー将軍がもたらした損害をつぐなってくれる」ように希望した。


しかし、中国のアメリカ部隊は相変わらず国民党軍を保護していたし、アメリカのレンド・リース物資はぞくぞくと流れ込んでいた。

したがって、ウェデマイヤー将軍は新聞記者に、中国の傀儡軍は「うまく蒋介石軍に吸収されている」と平然とうそぶいていた。


そうした警戒すべき兆候があるうえに、さらに毛沢東と朱徳は『国家再建計画』という国民党の新しい秘密文書を手に入れた。

それは彼らの軍隊を掃蕩するための設計図であった。

アメリカの行動とこの新しい計画が符号する事実は、トルーマン声明とマーシャル将軍派遣の目的について彼らに深刻な危惧の念をいだかせたにちがいない。

それは彼らを解体し弱めるために時をかせぐ行動ではないだろか?


このような危惧はあったが、それを口に出したのは数ヶ月後のことであった。

共産主義者たちは蒋介石がマーシャル将軍の助言でついに召集した政治協商会議にただちに代表団を派遣した。


1946年1月末、国民党、共産党、民主同盟の代表は、民主連合政府を樹立する歴史的な重慶協定に厳粛に調印した。

委員会はすぐ新しい民主憲法の起草に着手し、これは総選挙の後に新たな中華民主共和国の国会で討議し採決されるはずであった。


この重慶協定の最も重要な点のひとつは、国民党代表はそれとたたかって敗れているのだが、新政府の行政部門は大統領ではなくて国会に対して責任を負うことだった。

これは、1911年以来繰り返し起こったような政府が独裁者の道具になるのを防ぐために、特に設けた規定だった。


重慶協定に調印したすぐ後、国民党と共産党の代表はもうひとつの協定に調印し、マーシャル将軍がそれに副署したのだが、それはそれぞれの部隊に停戦命令を下し、各軍を縮小再編成して、合同最高司令部の下の国軍を創設することを取り決めたものであった。


共産主義者はこの協定は実行されると確信していたので、朱将軍の司令部はただちに人民軍全師団の解体に着手した。

人民軍は停戦協定によって18個師団に減らされることになり、一方、国民党軍は90個師団を維持することになっていた。

3ヶ月のうちに50万が動員解除されて、各自の郷里に送り返された。

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by far-east2040 | 2017-06-09 18:11 | 朱徳の半生(改編後削除予定)