毛沢東と蒋介石の会談 「偉大なる道」③―2

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1945年8月の末になって、ハーレイ将軍は毛沢東に重慶に来て、交渉するよう強要した。

そして毛の身辺の安全を保証するため、ハーレイ将軍自身が張治中将軍を連れて延安に飛行機で来て、8月28日王若飛将軍といっしょに毛沢東を連れ出した。


毛と会った蒋総統の第一の要求は、八路軍と新四軍を国民党軍に改編することだった。

これに対して毛は、それほど愚かではなかったので、彼の軍は中国人民全体を代表する連合民主政権に服従すると、そして国民党軍も統一された民主的な国軍をつくるため同様にするべきだと回答した。


毛のこの要求は、彼が『連合政府について』という冊子の中で要約しているのと同じであり、ちょうどこの毛蒋交渉のころ重慶で第一回全国大会を開いた中国民主同盟もそれを支持し宣伝していた。


毛は9月3日蒋介石に6項目の特別要求を提出して、宣伝紙をのぞく全国の新聞業界から支持された。

それは、新聞出版の自由、戦争中民主的活動のため投獄された新聞関係者全員の釈放、日本と協力した新聞関係者全員の厳罰と新聞業界からの永久追放などであった。

多くの反逆者の新聞関係者が国民党に寝返っていると毛は蒋に告げた。
まるで蒋がそれを知らないかのように!


これらの要求に呼応して、中国西部と西南部一帯の新聞雑誌の編集者や所有者が今後いっさいの検閲を拒否するという声明を発表した。

そしてその決定にしたがって行動を開始すると同時に、警告を発して、ファシズムは戦争で打倒されたが、「その亡霊はいろいろなカモフラージュのもとに、中国をうろついており、あらゆる種類の陰謀や危険活動を行っている」といった。

そして日本人戦犯と政界軍界の中国人反逆者の処罰、すべての日本軍と傀儡軍の解体、思想統制の停止、秘密警察の廃止、国民党独裁にかわる連合民主政府の樹立を要求した。


ねばり強い毛蒋交渉は10月はじめまで続いた。

国民党の旗色の悪いことがはっきりしたころ、秘密警察が『新華日報』主筆を、明かに毛と同行した二人の助言者のうちのひとり周恩来と誤認して暗殺した。

しかしこの暗殺も10月10日の協定の調印を妨げることはできず、蒋はこの協定で、連合政府樹立を論議するために各党各派の政治協商会議を召集することに同意したのであった。



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by far-east2040 | 2017-06-08 09:42 | 朱徳の半生(改編後削除予定)