工業合作社 「ひとつの秘密の兵器」①ー2

f0364260_16294258.png

朱徳将軍は穀物や育児から工業合作社の話に移る。

農業と工業の間をつなぐ橋渡しになり、また商業を活気づけるには工業合作社を大規模に発展させるべきだと彼はいう。

合作社は金儲けの機関になってはいけないし、製品を買い占めして値段を上げたりしてモノ不足を波及させたりしてはならない。

辺区政府は合作社と家内工業の振興をきわめて重視していると彼は続けた。

そのために租税を免除したり、名目的な租税だけにしたりしているし、また高い生産水準をあげた男や女に労働英雄の名誉を与えたりしている。


「ある婦人の生産指導者が、私にむかって、二百元の資金があるが何に使ったらよいかわからないといった。

私は、その金は二十錘の紡機を二台つくるのに使ったらいいと思う。

この機械は、二週間練習すれば、女一人で一日に十四ポンドの毛糸を作ることができる。

このうち良い品を五ポンドより出して、良い毛糸をつむげば、織物工場はそれを三十元で買う。

悪い毛や毛布やじゅうたんに織ることができる。

また私たちがたくさん生産する亜麻を毛にまぜて、強くてもちのいい温い織物をつくつこともできる」


そうした集まりの後、彼は日本軍から分捕った大きな馬に乗って南泥湾地区によく出かけていった。

王震が指揮する八路軍の一旅団がこの地帯に駐屯して、黄河を隔てた対岸の日本軍と南方を封鎖する国民党軍に対して延安を防衛していた。



朱将軍が「南泥湾運動」と呼んだ軍の生産運動は彼の誇りであり喜びであった。

この強力な旅団が南泥湾地区に入ったときはあたり一面荒地だった。

建物も洞窟もなく、ところどころに部落の廃墟や廃寺が見られるだけであった。


国民党の辺区封鎖は兵隊や一般人を飢餓に追い込み、戦闘で日本人にやっつけさせるのが目的であると朱将軍は部隊に訴えた。

軍も人民も黙ってこのまま飢えさせられたり、やっつけられたりするつもりは毛頭ない。

また軍は人民を離れて生きることができるとは思わない。


王震旅団は付近を調べて、古い廃寺で二千ポンドの鐘を見つけた。

この鐘で最初のすきや鍬、丘陵の傾斜に住居を掘る最初のつるはしやシャベル、最初の大工道具や井戸掘りの道具を作った。

部隊はこの荒地を穀物や野菜の畑に変え始めた。

遠くの村から少しばかりの牛馬、山羊、羊、豚などのつがいを買ってきて、それを増やしていった。

彼らはたびたび生産会議を開き、紡績合作社を作り、また教育を続け、演劇グループさえ作った。

戦争地帯から辺区に流れ込んだ数千人の避難者をこの土地に迎え入れた。

そして彼らに井戸を掘ってやったり、紡機を作ってやったり、合作社や初級学校、文盲教育の夜学校、換工隊などを作るのを援助してやったりした。



紫字はアグネス・スメドレー著 阿部知二訳『偉大なる道』より抜粋


[PR]
by far-east2040 | 2017-06-01 16:34 | 朱徳の半生(改編後削除予定)