長征の終幕 長征④ー7

f0364260_15125708.jpg

以上のようにして、江西省寛田を出てから満2年1ヶ月と19日で、長征という一大叙事詩の幕がおりた。

再集結した紅軍の実勢力は8万で、1934年10月に江西を出発したときの中央軍の戦闘力とほぼ同じだった

西北の山野に集まったこの勢力は、歴史的に類のない独自の勢力だった。


紅軍の本拠は1937年1月から延安に移ったが、そこで張国燾は党中央委員会の審判にかけられた。

党の創立に力のあった彼自身が党の基本綱領と政策に造反したのだ。
張と彼の配下の少数の将校は、部下の将兵や彼が捕虜にした朱徳や劉伯承や他の参謀などの証言に対抗して自分たちを弁護した。


この審判で朱将軍は、彼自身が張からどのように扱われたかということには少しも触れず、張が紅軍と党との綱領や政策を犯した点だけを問題にした。

張は愛想よくしかも狡猾に朱徳に対する態度を陳謝し、誤りが矯正されるまで学習するという審判の決定に服した。


1938年の夏に抗日戦が始まった時、国民党軍事使節の一行が延安を訪れたが、彼らは帰るときひそかに張国燾を漢口に連れ去った。

張はそこで恐るべき秘密警察・藍衣社の首領載笠将軍の幕僚に加わったのである。


朱将軍とこの事件の話をしていた時、私(スメドレー)は何千という中国人が日本の中国征服を積極的に手伝っていることや、共産党創立者の一人さえも秘密警察に加わって、中国の進歩主義者を狩り立てる結果になったことを嘆いた。


朱将軍はこんなふうに答えた。

中国は百年のあいだ帝国主義列強の半植民地であった半封建の国である。

この一世紀の間、中国の政府は西欧帝国主義の卑しい道具だった。

北京や南京や上海は国の利益を最高入札者に売りわたそうとする反逆的陰謀の後方基地だった。


確かに中国には革命途上のほかの国より多くの反逆者がいると彼は認めたが、それは中国の領土や人口が大きいからだというのである。


アメリカも革命戦争の時には多数の反逆者を出したことを私(スメドレー)は思い出した。


「そのことは学校では教えないだろうが、あなたの国の解放戦争では、大勢のアメリカ人が、イギリスの暴君に積極的に奉仕した。
スペインをヒトラーとムッソリーニとに売りわたしているフランコやその手下どものことを考えるといい。
資本主義列強に身売りして、十月革命のあいだ自国の人民と戦った白系ロシア人のことも考えるといい。
インドや朝鮮の状態をみるといい。
世界中を見わたしてみなさい。
権力と金のために、いつでも自国民を裏切る連中が、どこにもいることがわかるだろう。


「われわれの党も反逆者を出した。
中国の革命は長距離をゆく列車のようなものだ。
途中で降りるものもあり乗り込んでくるものもある。
だが大部分のものは終着駅まで乗ってゆく。
張国燾は右翼機会主義者の政策について行って、わが軍に重大な損害をもたらした。
しかし、わが党の正しい指導と、わが軍隊の政治的自覚と忠誠とが、結局彼の政策を匡正し、軍と党とを強化したのであった。
張のような人間が、さらに多くの人々を殺すかも知れないが、歴史の流れを変えることはできない。
わが党とわが軍とは、革命の勝利を実現するであろうし、それはあらゆる植民地の抑圧された民衆に、いや全世界の民衆に影響を及ぼすであろう」

                             紫字はアグネス・スメドレー著 阿部知二訳『偉大なる道』より抜粋




[PR]
by far-east2040 | 2017-05-22 15:19 | 朱徳の半生(改編後削除予定)