民族統一戦線を阻むもの 長征④ー3

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蒋介石は有名な十九路軍の一師団まで辺境地帯に送り込んできた。

だが、紅軍との戦闘で二個連隊が消滅すると、指揮官は逃亡し、800人の兵士が投降してきた。

この兵士たちの話しを聞けば、十九路軍のかつての指揮官たちはほとんど追い出されて、藍衣社系の将校に代わっている。

この将校たちが、紅軍は捕虜の首を切り、眼をくりぬき、腹を裂くという宣伝をしていたのである。

ある兵隊は握り拳で自分の頭をぶちながら叫んだ。

「あんなうそを信じたとは何というバカなんだ!」


ほかの捕虜の兵隊がいった。

「おれたちの隊長がいったことはなにもかも嘘っぱちだ。いちいち頭をぶってたら、貴様らは自分の頭の鉢を叩き割らにゃならんぞ」

「おれはあいつらのでたらめな話なんか信用してなかったから、自分をぶつなんてしないさ」

ひとりがいった。

「将校は、おれたちは日本のやつらと戦うために北に向かうのだといっていた。
こんなみじめなところに来てはじめて同国人と戦うために送られたことがわかった。
おれは紅軍に参加する」

もう一人の兵隊がいった。

「おれはこんな未開の土地を出るまでは紅軍といっしょにいて、それから家に帰ろうと思う」

「貴様は、家に帰りつくことはできない……途中で捕まって、もう一度蒋介石の軍隊に突き戻されるに決まってる……それにしても一文無しでどうやって家までゆくんだね」
仲間が反論した

「途中、乞食しながらでも家に帰るんだ。
もしやつらに捕まって、また蒋介石の軍隊に戻されてもぜったいに戦わんつもりだ!」

「へええ、だがその時になってみると、思いどおりにはならんぞ。

もしおまえが戦わなけりゃ、将校に後ろから射たれるだけだぞ」

「そんな話は、もうよせ!」と周りから攻め立てられた兵隊が叫んだ、

「とにかく、もう一度紅軍との戦争に引き出されたら、また銃を捨てて投降するんだ」


飢餓と戦闘に悩みながら、ついに紅軍は甘粛省境の敵の防衛戦を打ち破って、甘粛省の平野になだれ込んだ。

まるで骸骨のようにやせ細った軍隊で、数百人が激しく咳き込んでいる状態だったが、軍閥の師団を次々に粉砕し、米、衣料、貨幣や薬品などを手に入れた。

その時には毛沢東の縦隊はわずか二万人になっていたが、おそらく世界一頑強で強い自覚を持った古強者ぞろいだった。


ファシスト胡宗南軍、回教軍、旧東北軍と何回も激戦を交えた後、1935年10月20日、毛の縦隊はついに陝西省北部に到達し、劉志丹の率いる一万の紅軍遊撃隊と合体した。

劉の遊撃隊は1927年以来この地方で戦っていた。

1934年第四方面軍が西北に残していった徐海東の連隊は今では師団に成長して甘粛省東部で戦っていた。


一年後に朱徳は残りの紅軍を率いて主力とほとんど同じ経路を行軍し、1936年10月6日、甘粛省南部の徽県で林彪の第一方面軍と連絡した。


これとほとんど同じ日に、1931年日本のために満州を追われた旧東北軍の総司令張学良将軍が陝西省西安から蒋介石総統に電信を送り、抗日のために紅軍と民族統一戦線を結成することを提案した。
蒋は憤慨してこの提案をしりぞけ、共産主義者がいっぱいいると以前から非難してきた西安の軍政訓練学校を閉鎖するよう張学良青年元帥に命令した。

張学良は彼の学校は祖国を愛し祖国のために戦うことを望む者なら、だれでも入校させているといって答えた。


蒋介石総統は洛陽に「掃共軍事会議」を召集し、集った西北の将軍達を前にして、中国の第一の敵は日本ではなくて「反逆者紅匪」であると述べた。

胡宗南や王均など甘粛に派遣された蒋の最も優秀な司令官達は彼の意見に賛成したが、紅軍との戦いで多くの連隊を失った青年元帥の考えは違っていた。


そうした情勢の間に、日本軍は華北五省を包囲して切り取るために綏遠省に侵入しつつあった。

華北の鉱山、鉄道、その他戦略資源は日本が全中国を計画的に征服するために必要不可欠なものであった。

これに対して綏遠省長官の傅作儀将軍が戦闘を開始した。

だが激高した全国民は、彼の部隊がほんのしばらくしか持ちこたえられないことを知っていた。

何千人もの華北の学生が戦いに加わるためにぞくぞくと綏遠に入ってきた。

ところが、蒋介石がしぶしぶ綏遠に送った三個師団は前線にも出ず、日本軍に対して一発も放たなかった。



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by far-east2040 | 2017-05-20 10:44 | 朱徳の半生(改編後削除予定)