瀘定橋の戦闘 長征②ー3

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朱将軍の説明によると、瀘定の村にある有名な吊り橋は両岸のセメントで固めた巨大な岩の杭に固定した20本の大きな鉄の鎖でできている。
鎖は飯茶碗の直径ぐらいの太さがあって、2尺ぐらいの間隔があり、鉄の横棒がついている。

川はここでは300ヤードぐらいにせばまっていた。


敵の堡塁のある瀘定の村は北岸にあり、南岸には2、3軒の家があるだけだった。

敵は紅軍に備えて、橋の北端から約100ヤードを残して、橋板をすっかり取り除けていた。

そのため南端から約200ヤードの間は、500尺の下にとどろく激流を見下ろして、ゆらゆらと揺れる鉄の鎖があるだけだった。


林彪師団はまだ着いていないし、敵の兵力も全然わからなかった。

だが、一刻の猶予も許されない。

何としても橋に床板を敷いて渡らねばならない。

部隊はすぐにあたりの森の木を伐りだす一方、壁板、扉、その他何でも床板になるものを集めにかかった。

同時に第一回目に渡る志願者を募った。

部隊全員が志願したが、第一次の名誉は麻大珠の指揮する小隊が担った。
第二次の小隊も選ばれた。

両小隊の兵士は、銃、剣、手榴弾を背中にしばりつけた。

小隊長麻大珠が進み出て鎖の一つを掴み、交互に手を持ち替えながら北岸をめざして進んで行った。

次に小隊の政治指導員が進み、その後に兵士たちが続いた。

彼らが揺れながらゆくとき、紅軍の機関銃は一斉に発射して火の幕で擁護し、工兵隊は木の幹を運んできて橋の床を敷き始めた。


全軍は息を殺して、兵士たちが鉄の鎖を伝って揺れながら進んで行くのを見つめた。

最初に麻大珠が撃たれて直下の激流に消え、また一人、また一人と続いた。

しかも後から後から押し進んでゆくのだが、彼らが向かう側の橋床の残っているところに達する前に、敵兵が橋板にガソリン缶をぶちまけて火を放った。

火炎が拡がるのをみて躊躇するものもあった。

だが、小隊政治委員は火が足元に達しない前についに床に飛び降り、後に続けと叫んだ。

後のものも進んで床に達しその上に伏せ、手榴弾を取り出し銃剣をかまえた。


火炎の中を走って敵の真ん中に手榴弾を投げつけた。

火にまとわれながら次から次に新手が続いた。

背後では同志たちの歓声があがり、それに混じって床に木を降ろす音がどさっ、どさっと響いた。

橋は銃をかまえて走りながら火を踏み消す兵士たちでいっぱいになった。

敵は第二の防御線に退いた。

そのとき突如林彪の師団が背後にあらわれ、戦闘はここで終わった。


瀘定橋の戦闘は一時間ほどで終わった。

戦死17名、火傷と戦傷は多数、ひどい火傷も若干あった。

この戦闘に朱や毛といっしょにいた参謀将校から聞いたが、朱は一言も発せず、身動きもせず、石のようにじっと立ったままだったという。

彼は、紅軍と抗日戦との全運命がこの瞬間に決定されること、と同時に中国の過去の戦士たちの失敗した事業を二十世紀の労働者農民がいま成し遂げつつあることを知っていたのだ。


午後遅く敵が橋と部落とを爆撃し始めると、朱将軍は撤退を命じた。

彼はその晩の記念集会で演説をした。

朱将軍は聴衆に向かって、17人の英雄は生命を犠牲にして懋功に向かう軍の進路を開いたこと、紅軍はそこで第四方面軍と落ち合い、華北に進んで抗日線を戦うことを話した。


1935年5月30日は歴史的な日であると彼は続けた。

中国の学生や労働者が上海でイギリスの帝国主義者に虐殺された十周年記念日であると同時に、72年前の5月には石達開が大渡河を渡ろうとしたのだった。


この72年間の中国の歴史を簡単に述べてから、朱将軍はその後もたびたび口にする主題に移った。


「英雄主義は昔からある考えである。
過去の時代には、英雄ひとりが民衆の上にたっていたのであって、民衆をけいべつしていた場合も多いし、時には民衆を奴隷にしようとした。
紅軍は新しい英雄主義の考えを身につけるのだ。
われわれは革命の英雄大衆をつくりだすーーそれは一点の私利私欲もなく、あらゆる誘惑をしりぞけ、革命のためには喜んで死につき、生きていれば、わが国土人民の解放の日まで闘いぬく人々である。


「われわれの前途はこれまでよりもはるかに困難である。
世界でも最も高い山々、万年雪をいただき氷河におおわれた山々を越えねばならぬのであって、自分で道を切りひらかねばならぬこともおおいだろう。
われわれは自分で橋をつくって激流を渡らねばならぬ。
チベットと中国との国境のこの広大な地帯には、見境なくあらゆる中国人を襲撃する好戦的な部族がいる。
中国の圧倒的な政権は、過去幾世紀のあいだ、これらの部族民を根だやしにしようと努力し、それに成功した部分もある。
だがわれわれは、ちょうど、われわれが中国の労働者農民と協力したように、これらの抑圧された部族と、友だちにならなければならぬ。


「またわれわれの前途の広大な地帯には、われわれをせん滅すべく待ちかまえている敵の要塞や幾十万の敵軍がある。
国民党の飛行機は、侵入する日本軍を襲ったことはないが、万年雪をいただく山の中までさがして、われわれを爆撃するだろう。
それを避けるため夜間行軍せねばならぬことが多いだろう。
われわれの困難は大きく、敵は大勢だ。
だが、われわれの越えることのできぬ山も川もあり得ぬし、征服することのできない要塞もあり得ぬ」


紫字はアグネス・スメドレー著 阿部知二訳『偉大なる道』より抜粋


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by far-east2040 | 2017-05-11 23:15 | 朱徳の半生(改編後削除予定)