大渡河 長征②ー2

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5月の末、林彪の前衛師団は大渡河に沿う市場町の安順場に達した。

かつて石達開率いる太平軍が滅びたのはここであった。


この凄まじい川は、万年雪に覆われたチベット山脈の先端としてそそり立つ死の山々から、急な流れとなって下っていた。

断崖にぶつかっては雷のようにとどろき、たちこめるしぶきに虹がかかっていた。

川は安順場のところで幅が広くなっていて、ここには80人乗りの渡し舟が3隻あった。

そのうち一隻だけが安順場側に繋がれていて、他の2隻は向かいの北岸にあった。

そこでは四川部隊が陣地を築き「太平軍と同様に紅軍を打倒せよ」という蒋介石の命令を遂行しようと待ちかまえていた。


太平軍の将兵達の霊魂が、暗夜に復讐を求めてすすりなくという伝説があるのはこの土地である。

林彪の前衛部隊といっしょに先行した朱将軍が、身辺の部下たちに彼が少年時代に機織りじいさんから聞いた石達開の革命軍の話をしたのもここである。


話の途中に一人の兵士がやってきて、豚を買って殺したが、肝などを少しばかり取ってあるので食事にしてはどうかと言ってきた。


「それはいい」朱将軍は愉快そうにさけんだ。「わしは料理がうまいぞ。さあ、君、肉を切ってきれ。わしが料理する」


10人あまりの者が朱将軍について司令部の置かれた家に入り、彼が料理するいい匂いを嗅ぎながら、太平軍の話の続きを聞いた。

料理が出来て食べているとき、朱将軍は肝を持ったきた兵士に向かっていった。


「腸が手に入ったらもってきたまえ、口につばきのたまるようなうまい料理を作ってやるぞ」


食事の終わったころには、林彪師団の渡河準備は完了していた。

渡し舟をずっと上流に押して行って、そこで80人が乗り込み、機関銃をすえつけてから、70年ほど前の太平軍と同じように、岸を強くけって乗り出した。

そして機関銃や小銃で猛烈な射撃を加えながら、北岸に上陸した。

2隻の舟を占領してすぐに南岸に返し、次の兵隊を渡した。

翌日までには師団全部が渡り終わり、北岸の敵の堡塁は紅軍の手に落ちた。

そこへ主力が南岸に着いた。


だが敵の爆撃機もやってきて、渡し舟や安順場を爆撃し始めた。

この場所以外で渡河できるのは、140マイル上流の有名な吊り橋のある瀘定の村だけであった。

そこにも四川軍の守備隊と強固な防禦施設があるが、林彪の前衛師団が背後から攻めれば、その間に主力を渡すことができるはずだ。


方針は即座に決まって、両岸の縦隊は川越しに信号を交わしながら行進を開始した。

夜は松明の明かりで進んだ。

18時間休みをとらずに進んで、やっと4時間の睡眠をとった。

起きるとふたたび異様な山の険しい細道をあえぎながら進んで行った。


瀘定橋に着く数時間前に、林彪師団が後ろに遅れてしまった。

敵軍に遭遇したという信号があった。

本部隊は猛烈に突き進んで、上海虐殺十周年記念日の5月30日明け方瀘定橋に着いた。

何とかしてこの歴史的な日に渡河して、歴史が繰り返す場合は茶番以外ないことを証明したいというのが彼らの決意であった。


紫字はアグネス・スメドレー著 阿部知二訳『偉大なる道』より抜粋


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by far-east2040 | 2017-05-11 13:20 | 朱徳の半生(改編後削除予定)