第九回紅軍代表大会 「上杭の歌」②ー4

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福建にいる毛沢東に送った使者は次のような報告を持って帰ってきた。

朱徳がいなくなってから、上杭はじめ全城市が強力な敵軍に占領された。

しかし農村は依然として農民の手中にあったので、毛沢東は福建省の山地の安全なソビエト区古田に撤退した。

そしてこの古田で第九回紅軍代表者大会を1930年1月1日に開くことになった。

わずか2週間後に迫っていたので、朱徳の指揮下の各中隊は大会への代表を選出することになった。


古田への道を戦い続けながら、朱徳は上杭をもう一度占領しようとしたが失敗した。

汀州では敵軍を数日間追っ払うことができたが、すぐに敵の増援部隊が到着したので、結局放棄せざるを得なかった。

古田には元旦の朝早くに到着したが、村人は朱徳たちを大歓迎した。


「その年は、豊作だった」と朱徳は、話題をかえて話しだした。
「地主を追いだして、その土地を分配してから、人民は、自分も十分に食べ、そのあまりを、紅軍に提供できるようになった。
彼らは、数千人の群をなして、古田地区へ集ってきた。
みな、それぞれ自分の布団と、一週間分の食糧をもち、どの集団も、われわれへのおくりものをもってきた。
大量の米をもち、鶏やあひるをかかえ、豚や牛までおいながら、やってきたので、われわれは正月用の肉を十分に食べることができた。


紅軍の兵士や人民はいっしょに料理をし食べ、歌い楽器をならし、紙で作った竜が踊りまわった。


紅軍代表者大会では、朱徳は紅軍成立以来のあらゆる行動を回顧しながら、年次軍事報告を行った。

毛沢東は政治問題について報告したが、紅軍とソビエト地区に関することだけでなく、国内情勢から彼が知るかぎりの国際情勢にまで触れていた。


毛沢東は次のように報告した。


現在はきわめて不幸な時代である。

なぜならば、資本主義世界では、経済の大恐慌がおこっており、外国帝国主義と結びついた国民党の支配体制は、中国をますます深く、植民地的従属状態にひきずりこんでいるからである。

国民党の独裁が成立してから三年足らずのあいだにーーと毛は報告したが、この点については、朱徳もその報告において、同じ事実をのべたのであるーー、中国の鉱山や製鋼、製鉄、紡績工業の株式の大半が外国人の手中におちいった。
英国とベルギーの資本家は、有名な江西省大余のタングステン鉱山を買収しようとしている。

このことは、なぜこれら外国の資本家が、蒋介石に、紅軍を絶滅し、「平和と秩序」を回復せよと、強硬に主張しているかを、部分的に説明するものである。


中国は、たえざる経済恐慌のなかにおかれているが、しかも世界恐慌の深化にともなって、中国の恐慌も、いっそう激化している。
中国の大都市では、幾多の工場が閉鎖され、あらたに幾千もの労働者が、失業者群のなかに、なげこまれている。
今なお操業をつづけている工場では、賃金の安い子供や婦人が、青年男子にとってかわりつつあり、しかも、これらの子供や婦人でさえ、死にものぐるいのストライキに立ちあがっては、棍棒と銃火とで、弾圧されている。
物価は下落し、蒋介石の、馮玉祥将軍との華北における新しい戦争は、さらに数百万の農民を破産に追いこんでいる。
これらの農民たちは、匪賊や浮浪者に転落したり、その日の一碗の米をうるために、軍閥軍の兵隊になったりしている。

大衆の武装力である紅軍だけが、中国人民のこの貧窮と従属のために、革命的な解決をもたらすことができるのである、と毛沢東は言明した。


この目的を達成するためには、紅軍に一定の改革をおこなうことが必要なので、毛沢東や朱徳、そのほかの指導者たちは長時間話し合ったうえで作られた決議を大会に提案した。


第一は、軍と党の上級機関が決定を行い、その後兵士たちに十分な理解と承認を得られるまでこれらの方針を討議させることが必要である。

第二は、紅軍内の「絶対的平等主義」はやめなければならない。

これまで紅軍はあらゆる差別待遇に反対してきた。

病人や負傷者への特別待遇にも反対し、年齢や性別、肉体的能力を無視して同じ負担を主張してきた。


毛沢東は食糧と衣類は兵士と指揮官との間では平等に分配するべきだが、病人と負傷者には特別の配慮が必要であるといった。

人は誰でもほかの人とまったく同じ荷物をかつげるとは限らない、こういうことは能力に応じて決定されなければならない。

軍の中のある組織は、任務を遂行するために一般よりも大きな宿舎や要員を必要としている。

馬に乗って移動した将校は、兵士たちが眠りについてから夜遅くまで仕事をしていると。


さらに毛沢東は紅軍内のインテリたちが、事実に基づいて結論を導かず、頭の中で抽象的理論をこねあげる「観念論的」傾向を克服するように主張した。


大会は毛沢東の決議を採決した。

紅軍代表者たちはそれぞれの部隊に戻り、全体会議を開いて決議が承認されるまで討議を続けた。


朱将軍は、この改革の結果、軍隊はいちじるしく強化され、江西省の中部と南部全体を、解放することができるようになるばかりでなく、かつて失った福建西部の多くの城市をも、ふたたび占領することができるようになるだろう、と考えた。


中央ソビエト区として知られているこの地域は、その後しだいに拡大し、江西福建両省の大部分を包含するようになったのである。



紫字はアグネス・スメドレー著 阿部知二訳『偉大なる道』より抜粋


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by far-east2040 | 2017-04-10 06:46 | 朱徳の半生(改編後削除予定)